中島理論で見るGIレースの勝ち馬(1993年編)

ホクトベガ
  • 鹿毛
  • 1990.3.26生
  • 浦河・酒井牧場生産
  • 馬主・金森森商事(株)
  • 美浦・中野隆良厩舎
ホクトベガの4代血統表

ナグルスキー
鹿毛 1981.1.27
種付け時活性値:0.00
Nijinsky
鹿毛 1967.2.21
Northern Dancer
鹿毛 1961.5.27
Nearctic 1954.2.11
Natalma 1957.3.26
Flaming Page
鹿毛 1959.4.24
Bull Page 1947
Flaring Top 1947
Deceit
黒鹿毛 1968
Prince John
栗毛 1953
Princequillo 1940
Not Afraid 1948
Double Agent
黒鹿毛 1959
Double Jay 1944
Conniver 1944
タケノファルコン
黒鹿毛 1982.5.8
仔受胎時活性値:1.75
フィリップオブスペイン
黒鹿毛 1969.2.16
種付け時活性値:1.00
Tudor Melody
黒鹿毛 1956
Tudor Minstrel 1944.2.16
Matelda 1947
Larida
鹿毛 1961
マタドア 1953
Zepherin 1945
クールフェアー
栗毛 1978.4.12
仔受胎時活性値:0.75
イエローゴッド
栗毛 1967
種付け時活性値:0.50
Red God 1954
Sally Deans 1947
シャークスキン
鹿毛 1969
仔受胎時活性値:2.00(0.00)
シルバーシャーク
芦毛 1963
種付け時活性値:1.25
Atrevida
芦毛 1958
仔受胎時活性値:0.50
ホクトベガの4代血統構成&4代父系の活性値&4代父系の分枝状況
母父 祖母父 曾祖母父
ナグルスキー
(Northern Dancer系)
フィリップオブスペイン
(Hyperion系)
イエローゴッド
(Red God系)
シルバーシャーク
(Relic系)
父の活性値 母父の活性値 祖母父の活性値 曾祖母父の活性値
0.00
(8歳時交配)
1.00
(12歳時交配)
0.50
(10歳時交配)
1.25
(5歳時交配)
父の分枝状況 母父の分枝状況 祖母父の分枝状況 曾祖母父の分枝状況
Nearcoの4代孫 Whaleboneの13代孫 Nearcoの3代孫 Matchem〜Man o'War系
ホクトベガのB&B理論的総括
8代残牡先祖数 4代血統構成
(資質固定指数)
潜在能力値 少ない先祖etc
5/128 A  C  A  D
(0.33)
1.65 フィリップオブスペイン
シルバーシャーク
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 何番仔?
シルバーシャーク
(Palsaka)
5.00 or 3.00 4代母の仔にハバット
(No.9-C)
3番仔
(2連産目)

潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。

[Notes]

『東の1等星』ホクトベガ。春のクラシックでは桜花賞5着、オークス6着とあと一歩の成績でしたが、3歳牝馬GIの最終戦で見事に戴冠しました。勝ち時計の2分24秒9はレース・レコードタイムでした。鞍上の加藤和宏騎手はシリウスシンボリの日本ダービー以来8年ぶりのGI制覇となり、管理された中野隆良調教師はクシロキングの天皇賞・春以来7年ぶりのGI制覇となりました。TV中継で「ベガはベガでもホクトベガ!」と関西TVの馬場鉄志アナウンサーに叫ばれましたが、この勝利がフロックで無かったことは後に『砂の女王』へと成長したことで証明されました。レースの2着には、後の『美しきマイル女王』ノースフライト。牝馬三冠の期待がかかった『西の1等星』ベガは3着でした。ちなみに、馬番連勝の配当は25650円の万馬券でした。1、2着馬の後の戦績を考えると……、つき過ぎですね(苦笑)。

中島理論的解釈を行うならば、4代血統構成は『Northern Dancer(Phalaris)系×Hyperion(Hampton)系×Red God系×Man o'War系』となります。Phalaris系とHampton系のニックス配合です。ホクトベガは父ナグルスキーから8歳時の0交配を受けました。ゆえにナグルスキー以前の先祖は不存となり、先祖の数を減らして資質の固定化がなされています。母父フィリップオブスペインはWhalebone分枝13代目にあたり、ネオ異系の役目を果たしています。曾祖母父シルバーシャークはMan o'War〜Matchem系で異系です。バランスの取れた良い配合ですね。

ホクトベガの牝系は、1972年1月に酒井牧場が英国より輸入したシャークスキンを日本の基礎繁殖牝馬とする9号族。母タケノファルコンは2勝馬。ホクトベガは3番仔。祖母クールフェアーは不出走。タケノファルコンは初仔。曾祖母シャークスキンは不出走。クールフェアーは4番仔。4代母Atrevidaは仏国産で仏英愛で1勝、愛1000ギニー3着馬。シャークスキンの2歳年下の弟にミドルパークSの勝ち馬ハバットを輩出しました。牝系を遡ると、7代母がNasrullahの母であるMumtaz Begumです。近親には特に活躍馬がいるわけではなく、ホクトベガ1頭に牝系の全エネルギーが向けられた印象があります。

ホクトベガの走法は、首を地面に対して水平にして、それを低い位置で保ち、なおかつ全身を使ったフォームでした。私自身が陸上部だったせいか、馬の走法に注目して競馬を見てしまいます。ホクトベガのフォームはとてもキレイに見える、好きな走法でした。


このエリザベス女王杯の後、ホクトベガはGI馬の金看板を背負って中央の芝レースに挑み続けました。4歳、夏の札幌日経オープンと札幌記念を連勝したところは流石でしたが、その他のレースでは善戦するものの勝利を挙げることが出来ませんでした。5歳、「障害入り」「繁殖入り」も考えられましたが、AJC杯2着で自力を示して、ホクトベガは再び芝レースに挑みました。京王杯SC3着、安田記念5着と善戦した後、ホクトベガ陣営は交流重賞である川崎のエンプレス杯を次の目標に選びました。このレースが、彼女の分水嶺となりました。4歳初めの平安S10着以来1年半ぶりのダート戦で、彼女は2着馬を3秒6−着差にして18馬身−もぶっちぎる快走を見せました。そして、迎えた6歳。周囲の同期生たちは皆繁殖入りしていく中、彼女は主戦場を交流重賞のダート戦としました。1月の川崎記念(川崎)、2着馬に1秒差をつける圧勝。2月のフェブラリーS(中央)、2着アイオーユーに0秒6差をつけ楽勝。3月のダイオライト記念(船橋)、2着馬に0秒5差つけてこれまた楽勝。4月はひと休み。5月の群馬記念(高崎)、ダート1500m1分33秒6のレコード勝ち。6月の帝王賞(大井)、2着はフェブラリーSと同じアイオーユーで、0秒4差つけ完勝。7月のエンプレス杯、前年よりも着差をつけられなかったものの、2着馬に1秒5差の圧勝。暑い8月、9月はお休み。10月のマイルチャンピオンシップ南部杯(盛岡)、ダート1600m1分38秒3のレコード勝ち。これで交流重賞7連勝となりました。11月、ホクトベガは古牝馬に開放されたエリザベス女王杯に出走しました。11ヶ月ぶりの芝レースでしたが、ここは4着でした。同厩舎のもう1頭の名牝、ヒシアマゾンとの生涯初めての揃い踏みでした。12月の浦和記念(浦和)、2着に強豪キョウトシチーを従えて、0秒2差での勝利でした。その後、6歳の最終戦をグランプリ有馬記念としたホクトベガは9着と敗れました−ヒシアマゾンは5着−。明けて7歳の1月。同期のベガやノースフライトがお産の準備に勤しむ中、ホクトベガは前年に引き続き川崎記念に出走。2着のキョウトシチーに0秒6差をつけて優勝し、交流重賞9連勝が達成されました。夢が、遥か遠いドバイの空に向けられた瞬間でした。

「客死」という響きは、普段耳慣れないものです。旅行先で逝去してしまうことをそう言います。ホクトベガはドバイへ戦いに出向きました。だから、ホントは「戦死」という表現が適当なのかもしれません。彼女は、戦いのさなかで、死にゆく運命を、誰も望んでいないのに、いち早く、自らに引き寄せてしまいました。彼女の、あの強さが、「死」を呼び込んでしまったならば、勝負の神様は意地悪としか言いようがないです。

ホクトベガの誕生日は3月26日。3月26日の誕生花は「さくら草」、その花ことばは「初恋」。在りし日には1度も恋を成就できず、異国の空に散ったホクトベガの命。天国では、せめて幸せな初恋をして欲しいと願います。

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