6月25日の日記において、明け方に金縛りにあい、その日が妹の修学旅行の出発日だったことを書きました。私の心配は杞憂に終わり、妹はちゃんと無事に帰ってきてくれました。よかった、よかった。<2002/07/01 22:54>
朝から風呂、手洗い、洗面、ダイニング、自室の順に掃除をしました。案外ね、手洗いの掃除とか好きなんですよ(笑)。たまにしか、実行しませんけれど。<2002/06/30 03:08>
当Webページ群のHTMLの記述を間違えたまま放置していました。</html>で閉じるところを<html>にしていたのです。その数687ファイル。情けない。<2002/06/30 03:01>
私がいま勤めている職場は、その職業柄、女性の比率が高いのです。やっぱり、働いている場所に花がたくさん咲いていると良いですね。咲く。それは、もともとは「わらう」という意味です。ひとの笑顔は、ひとを救ってくれます。男にとって、異性の笑顔は、いつでも、気持ちを救ってくれるものです。<2002/06/27 22:07>
やっぱり、ちゃんと厄除けをしたのが良かったのでしょうか。今日は体調オッケーでした。なんだ言いながら、元気なのが一番ですよね。<2002/06/27 21:39>
浅い眠りを繰り返して、時刻は午前4時すぎ。右耳を下にして寝ていた僕が、ふと寝返りを打って、体勢を仰向けにして胸の上で両手を合わせた時、嫌な予感が襲いました。「なんか来るな」。そう思った時、「ピシッ」と外の網戸の動く音がしたかと思うと、「ズドン」と僕の左半身に乗りかかる『そいつ』がやって来ました。たまぁにね、からだに元気がない時に限って、霊感が働くんです。それからは左半身が金縛り状態。右目で無理矢理に左の方を見ると、ピンク色のマシュマロのようなものが見えるんですねぇ(苦笑)。「うわぁ、かなんなぁ」と思ったら、『そいつ』、僕の体を横から押し続けるんですよ。寝ている位置をずらすように、左半身を押し続けるんです。「なんや、添い寝したいんかいな、お前。でも、シンドイから堪忍して」。僕は、こういう時には念仏を唱えます。わずかに動く左手を開いて、右手を合わせて合掌しました。「ナンミョーホーレンゲーキョー、ナンミョーホーレンゲーキョー」。この部分しか唱えられない(笑)。格闘すること20分ほどでしょうか、「アカン。このままではラチが開かん。こういう時は俗物的なことを考えよう」と思ったら、『そいつ』、スーっと引いて行きました。その直後、かすかに開く両目で窓のカーテンの方を見ると、夜明けとはいえ白すぎる空が見えました。
『そいつ』とのやりとりの後、からだの自由は利くようになりつつありましたが、たまのことですから怖いんですね。『そいつ』はずっと左半身を押していましたから、右の足のウラで、左足のヒザのあたりを押し返していたんですよ。両手を胸の上に置いた妙な4の字型の体勢のまま、20分くらいはじっとしていました。それから、「もう大丈夫かな」と思い、じんわりと汗をかいている右足を真っ直ぐに伸ばし、左足も動くことを確かめました。そして、組んでいた両手を外して、からだの側面に合わせました。意識的にからだをニュートラルの体勢に戻して、それから10分くらいして、からだを起こしました。「なんや、誰が会いに来たんやろう」。布団の上で、僕はいろいろと思いを巡らせました。「あー、もうすぐじいちゃんの命日やから、思い出させるために来はったんかな」とか、「療養院に居てはる伯母さんが合いに来はったんかな」とか、「この辺は元々墓地があったさかい、誰かが迷い込んだんかな」とか。そして、そこで思い出したことがありました。「あれ、もしかして、○○(僕の4番目の妹)が呼んだんかな。修学旅行でシンガポールに行くって言ってたけど」。この4番目の妹が、僕によくなついていましてね。「もしかしたら、初めて飛行機に乗るのが怖いから呼んだのかも」と思いました。でも、僕は妹の出発日は覚えていなかったんですよ。確かめようと思い、ひと眠りしてから、実家に電話を架けることにしました。
ひと眠りをして目が覚めたのは7時15分でした。低血圧の僕は朝風呂に入るようにしていまして、一風呂浴びてから、実家に電話をしました。母親と話してみると、案の定というかなんというか、今日が妹の出発日でした(苦笑)。僕が電話をした時には、すでに妹は実家から出立した後でした。怖いなぁと思ったんですが、僕が『そいつ』格闘していた時刻を話すと、「でも、その時には○○は起きてたけどな」と言われました。「あー、それやったら、やっぱり別モンかぁ」と僕が言うと、「○○の出発日におかしなこと言わんといてぇな」と母親。「ごめんごめん。でも、ホンマにみんなも気を付けて」「お兄ちゃんも気を付けいや」というやりとりをして電話を終えました。この後、いつも通り会社に出勤したんですが、体調は最悪でした(苦笑)。気持ち悪かったのよ、ホントに。昼食を食べたら、吐きそうになりましたもの。やっぱり、あんまりいい奴がやって来たわけではないと思いましたので、会社の先輩に「厄除け」を教えてもらいました。家のベランダに日本酒を軽く撒くこと、部屋の四隅に盛り塩をすること、刃物を厚手のタオルで巻いて枕の下にセットして寝ること。全部、素直に実行しました(笑)。<2002/06/26 23:25>
平日が休みだと、昼の帯ドラマをついついチェックしてしまいますね。特にTBS系列。中村由真に小松千春、合わせてサッチン(元Wink)。魅惑のトリオ(笑)。中村由真といえば、風魔三姉妹。別のドラマで競演した前田耕陽と知らない間に結婚してるし(笑)。小松千春といえば、She's Rain。若々しくて、可愛らしかった。サッチンといえば、やっぱりいつまでも不健康そう。本日の日記は以上です。<2002/06/25 21:11>
第43回宝塚記念はダンツフレーム(1998.4.19)の見事なGI初制覇でした。予想はかすりもせず。中島理論的高素質馬を狙うのは良いけれど、当たらなかったら意味がない。秋シーズンは、もうちょっと頑張ります。<2002/06/23 21:02>
昨日はさかまつげのせいで散々な目に合いました。ホントに目が痛かったんですよ。それで今日の朝、目が覚めて、顔を洗おうと思い自分の顔を見たら、まぁホントにぶさいく(笑)。左目が見事なウサギさん状態(大笑)。痛みが引いていたのは不幸中の幸いでしたけれどね。<2002/06/22 22:31>
今日はHoliday、風が強い日でした。自転車に乗って橋を通っている時、突風が僕を襲いました。「アイタっ!!」まつげが、左目の中に侵入しました。もう、その後はずっと左目が痛い状態です。涙はボロボロ出てくるし、鼻水も一緒に出てくるし。休みの日くらい、平穏な日にしたかったのですが、神様はそれを許してくれませんでした(苦笑)。
『ビーン特別編』という作品が、NTV系の金曜ロードショーで放映されていました。ローアン・ワトキンソンは凄いなぁ、ピーター・マクニコルが普通の人に見えるんやもん。ピーター・マクニコル、『アリーマイラブ』シリーズのジョン役でおなじみの俳優さんです。ところで、ピーター・マクニコルの声は中尾隆聖さん−ばいきんまんの声でおなじみ−がアテられていましたが、僕は彼の声は江原正士さんでないと受けつけない体になってしまっていました。もちろん、僕が悪いのです(大笑)。<2002/06/22 08:20>
ローエングリン(1999.6.8)って、持込馬だったんですね(笑)。てっきり、マル外と思っていたんです。失敗しました。ところで、ローエングリンが登場したことによって、ワーグナーの代表的な歌劇は、馬名としてだいたい現れたことになりますでしょうか。マイスタージンガー(1989.4.15)、マチカネタンホイザ(1989.5.7)、そしてローエングリン。結構なメンツです。でも、こうやってひとくくりにすると、GIではちょっと甘そうメンバーですね(苦笑)。<2002/06/21 01:06>
齢重ねて四十七。自分の母親の達した年齢から、時の流れを感じました。若い若いと思っていた母が、もう五十の手前ですから。まま、長生きしてください。ああ、ちなみに6月19日生まれの方の誕生花は『バラ』、その花ことばは『愛』です。<2002/06/19 21:44>
仕事からの帰り。駅の前のタクシー乗り場で。「取らないでー」「自分が何をしたか分かってるのー」と泣きながら叫んでいる女性がいた。「誰も、何も取らないから」と返答する別の女性。泣き叫んでいた女性は、たくさんの男の人たちに囲まれて、近くの交番に連れて行かれた。僕は、素知らぬ顔をして、その場を後にした。
僕の家のすぐ近くにあるATMが爆発したというニュースが流れた。全身にやけどを負った血まみれの男性が、テレビのインタビューに答えていた。「はよう、病院に連れて行ったれよ」と思った。傷を負ったその姿は、あまりにも痛々しかった。僕は、しばし呆然となって、画面を見つめていた。
夢ではない現実の敗北。涙雨が降ったその舞台。仰げども見えぬ青空。祭りの後で。<2002/06/19 21:28>
今日は仕事がお休みでした。以前からPCのプリンタが欲しかったので、日本橋−東京で言うところの秋葉原−に出かけました。日本橋まで自転車で10分くらいの位置に住んでいますので、こういうところは便利ですね。電器屋さんであれこれと考えて、結局ヒューレット・パッカード社のプリンタを買ってきました。お店の店員さんは、エプソンのColario系列の機種を勧めてくれはったんですけれどね。あまのじゃく(笑)。<2002/06/17 18:16>
なんかねぇ、やっぱり睡眠時間が長すぎると身体に良くないみたいです。昨日の夜9時くらいに寝たんですけれど、朝5時くらいに腰の痛さで目が覚めました(笑)。<2002/06/16 21:47>
『そして音楽が始まる』というテレビ東京系の番組がありまして、今日はスメタナの『わが祖国』がテーマとして扱われていました。私は『わが祖国』の第二楽章である『モルダウ(ヴルタヴァ)』が好きなんですよ。というのも、中学生の時に合唱コンクールでよく歌われていたんですね。私自身は合唱で歌いませんでしたが、先輩たちが歌う姿に感動しましてねぇ。また、音楽の教科書のトップページにスメタナの言葉が書いてありまして、「音楽−それは感性の言葉− 言語−それは思想の言葉−」というフレーズが印象に残っていたんです。私は、『わが祖国』にエネルギーを感じます。それは、スメタナの一途なまでの「祖国への情熱」が伝わってくるからかも知れませんね。<2002/06/17 01:08>
勤め先の同僚の女の子に「オオハシさん、ジョージ・ハリソンに似てますよね」と言われた。うーん、それは生まれて初めて言われたなぁ(笑)。「いや、それよりも2丁拳銃の小堀の方が似てるんやけどな」と返すと、その女の子のほか一同納得されました。なんにせよ、そんな感じの奴です。濃い。<2002/06/16 07:32>
W杯。開催国である韓国、そして日本。両国そろって決勝トーナメントに進出することができて、ホントによかったですね。サッカーフィーバー、まさにプライスレス。<2002/06/15 21:22>
最近、朝の4時30分くらいによく目が覚めるんですよ。暑いんだかなんだかよく分からないんですけれど、浅い眠りで目が覚めます。夢を見た後にね。<2002/06/13 21:09>
私の勤め先なんですが、イングランド代表が宿泊された大阪の某ホテルの隣にありまして、今日はいわゆる「出待ち」のサッカーファンの方々が朝からたくさんいらっしゃいました。でも、ホテルの玄関で待っていた皆さんごめんね。おいらの勤め先はビルの7階なんだ。11時30分くらいかな、イングランド代表の皆さん、ホテルの屋上で楽しそうに談笑されていました。ガラス越しの、30mほどの距離に、『ベッキンガム宮殿』の持ち主がである週給1700万円の男が(笑)。私の勤め先は女性が多いので、ガラス越しに、皆さん萌え萌えの状態でしたねぇ(わはは)。<2002/06/12 21:12>
表紙の更新情報には載せていないんですけれど、実は血統表を更新しています。ページの下の方を見てください。密かにダイタクヘリオス(1987.4.10)のお父さんがいてるでしょ。はっきり言って個人的な趣味です(笑)。<2002/06/11 20:22>
土曜日は仕事が休みで、日曜日に出勤して、今日月曜日がまた休み。飛び石休み(笑)。私が所属している部署の人員の関係で、連休が取られない状況です。無理矢理に連休を取っても良いのですけれど、若手はやっぱり働かないと。飛び石でも、ちゃんとお休みを取らせてもらっていますしね。<2002/06/10 19:01>
もう、みんな騒ぎすぎ(笑)。稲本選手がゴールを決めた瞬間、近隣のマンションからものすごい歓声が起きました。でも、ヨカヨカ。嬉しい時は、喜べば良いのです。人間、素直が一番。日本代表の皆さん、本当におめでとうございます。<2002/06/10 00:47>
時の流れというものは、意識をしていないと、ホントに速いものですね。大阪府池田市で起きた小学校乱入殺傷事件。あれから、もう1年経ったのかと、改めて思います。白昼の凶行が行われた1年前の今日、仕事の昼休みの時に、この事件のニュースを見たのですが、めまいを感じたのを覚えています。帰宅後、改めてその惨劇の様子を伝えるニュースを見直して、ボロボロと泣いてしまいました。失われたいのち。幼くして絶望してしまったいのち。喜ぶことも、怒ることも、哀しむことも、楽しむこともできなくなったいのち。過ぎ去って行く日々の中で、いつか、2001年6月8日に起こった出来事を、忘れてしまう日が来るのでしょうか。いいえ。失われたいのちの周りにいた、残されたひとたちは、ずっと、背負っていくのでしょう。
残されたひとたちは、死の間際の絶望までいきながら、生を選びます。なぜならば、残されたひとたちが生きている限り、残されたひとたちのこころの中では、失われたいのちも生き続けるのですから。見えないものとなっても、いのちは、確かに、そこにあり続けます。残されたひとたちは、一生をかけて、こころにカサブタを作るのでしょう。時の力を借りて、カサブタは大きくなって行くのでしょう。でも、カサブタは受けたキズのすべてを覆ってはくれません。こころは、それだけ大きいものです。けれど、だからこそ、ひとは、ひとなのでしょう。残されたひとたちが、置き忘れてしまったもの。それは、悲しみと引き換えに、置き忘れてしまったもの。それは、ひとが、ひととして生きている証。悲しみと背中合わせのところにある、笑う、ということ。
健大くん、優希ちゃん、麻希ちゃん、花菜ちゃん、綾乃ちゃん、友香ちゃん、真宥子ちゃん、玲奈ちゃん。いつか、残されたひとたちに笑顔が戻っても、許してあげてな。ずっとずっと、先のことやろうけれど。みんなのこと、忘れるわけではないんよ。忘れないためにも、笑うんよ。思い出してもらうなら、みんなのいちばんいい顔の方がええやんな?みんなのいちばんいい顔を思い出すためにも、笑うんよ。いっしょに笑ったことを思い出すためにも、笑うんよ。そやから、かんにんしてあげてな。
残されたひとたちが、いつの日にか、こころからの笑顔を取り戻せる日を信じて。夢の壊れた日が、いつの日にか、笑顔の祈念日になることを信じて。<2002/06/08 11:08>
私は、仕事のある日は、昼食を屋外のベンチに腰掛けて食べています。今日も、何気なく昼食を取っていると、突然、「すみません、道を教えてください」という声を聞きました。何事かと思い声がした方を見ると、重そうな荷物を引いた、おじいさんがいました。私が「どうしはったんですか?」と問いかけると、おじいさんは、堰を切ったように話を始められました。おじいさんの話は次のようなものでした。
奥さんに先立たれたおじいさんは、北海道の小樽市から、奥さんのお骨を収めるために、奥さんの実家のある和歌山県の御坊まで出向かれました。釧路発のフェリーに乗って福井県の敦賀までやって来て、敦賀から電車を乗り継いで御坊まで行かれたそうです。お骨を収めて、その他諸々のことを終えて、今日北海道に帰ろうとされていました。それで、御坊の駅で電車を待っていらしたところ、ついウトウトと居眠りをされました。ふと目が覚めると、財布や健康保険証、銀行の預金通帳などの入ったバッグが無くなっていたそうです。すぐに警察に出向いて事情を説明されたのですが、その警察の応対が頭に来たとのこと。「おじいさん、70歳にもなって自己管理が出来ていないから、そういう目に合うんですよ(大意)」と言われたそうです。「いくらなんでも、そんな言い方はない」と、おじいさんは怒って、警察を後にされました。
勢い勇んで警察を後にしたものの、おじいさんには北海道まで帰るためのお金がまったく無い状態です。おじいさんは、フェリーの旅券を、往復チケットとしてJTBで購入されていたそうです。わらにもすがる思いでJTBに問い合わせをいれたところ、「確かに往復で購入されていることを確認できましたから、なんとかして敦賀まで来たら、23時30分発の釧路行きのフェリーに乗せてあげますよ」と返答されたそうです。おじいさんは、なんとかして敦賀まで行こうと、ヒッチハイクの作戦に出ました。トラックの運転手さんに助けられて、2回のヒッチハイクを経て、やっとの思いで大阪まで来たということでした。
私は、「どうしても敦賀まで行かなければならないのならば」と思い、とりあえず大阪の中心部まで行ってもらおうと、手持ちの、市営地下鉄と私鉄が共用で使えるカードを差し出しました。「これしかなくて申し訳ないんですけれど、とりあえず大阪の梅田、ここがJRの大阪駅があるところですから、ここまで行ってみてください」と。するとおじいさんは「いえ、そんな貴重なものはいただけません」と頑なに固辞されました。何度かすすめたのですが、結局は受け入れてくれませんでした。少しの間、おじいさんのそばにいたのですが、なにもできないまま、最後に「ご無事で、としか言えないのですが」「親切にありがとうございました」という会話を交わして、別れました。
その後、おじいさんが敦賀まで行けたのか、フェリーに乗ることができたのかはもちろん分かりません。「もっと上手く、誘導してあげることができなかったのかぁ」と思っています。<2002/06/08 10:12>
ウインザーノット(1980.3.3)の妹、と言うか凱旋門賞馬の娘。関谷記念(GIII)の勝ち馬。メイワパッサー(1975)の仔というのがポイントですね。Buckpasser(1963.4.28)系は「日本に合わない父系」と認識されているようで、ホントに数少ない直系種牡馬でした。私はスタビライザー(1988.5.13)が好きだったのですが……。
4月9日にサクセスストレイン(1998.4.9)でスタートした馬の誕生日にまつわる日記は、同じ明和牧場産馬のスプライトパッサーでいったん終了です。来年の春になったら、また再開しますね(笑)。<2002/06/06 20:28>
伝説の鬼脚。彼のデビュー戦をTVで見ていたなんて、ちっとも自慢になりませんね(笑)。同じ日にロイヤルタッチ(1993.3.24)もデビューしています。ダンスインザダークが1600m戦、ロイヤルタッチが2000m戦を勝ちました。<2002/06/06 20:16>
誰もがノーリーズン(1999.6.4)の誕生日と思っているのに、テュデナムキングを持ってくるところがひねくれていますね(笑)。いいじゃないですか、中山記念(現GII)とダービー卿CT(GIII)の勝ち馬。3歳の有馬記念(現GI)は2着、4歳の天皇賞・秋(GI)も2着。この現役時代の成績よりも、ドージマムテキ(1990.3.31)のお父さんと言った方が通りが良いでしょうか。
週間競馬ブック(6/9号)の2歳登録馬を見たのですが、メジロ牧場は流石やなぁと思いました。ええ、メジロオーロラ(1978.3.8)−メジロマックイーン(1987.4.3)のお母さん−にメジロパーマー(1987.3.21)を付けますか。これで、名前がメジロロナウド(2000.3.20)やもん。また、えらいスーパースターの名前をつけられたこと。出走してきたら応援したいなぁと思う若駒です。<2002/06/04 20:25>
今日はねぇ、朝4時くらいにものすごい雷鳴が轟いていましたよ。雨も、ものすごい勢いで降っていました。最近、ちょっと寝苦しくなってきたので網戸にして寝ているのですが、カミナリのけたたましい音と強い風雨の音で目が覚めました。
タカハタ。ちょっと例として出すには古すぎましたか(笑)。スウヰイスー(1949)、クインナルビー(1949)、レダ(1949)、タカハタ。牝馬の4強。古き良き時代の強い牝馬たち。<2002/06/03 20:46>
ソシアルトウショウ(1972.4.2)の仔、トウショウマリオ。京成杯(GIII)と東京新聞杯(GIII)を勝ちました。種牡馬としての代表産駒は、なんといってもファイアーマリオ(1994)。よう出来とりますわ(笑)。
安田記念(GI)。アドマイヤコジーン(1996.4.8)、偉い。2歳王者が6歳にして復活とは。彼が勝った朝日杯3歳S(GI)はしっかり覚えています。3〜4角の手応えの怪しさとは裏腹に、ラストまでしっかりと伸び切りました。2着にエイシンキャメロン(1996.3.9)。勝ち時計は1分35秒3。そして、3年半の年月を経て、今日再び、GIの舞台でチャンピオンに返り咲きました。予想はかすりもしませんでしたけれど、なんとも言えないさわやかな気持ちになりました。後藤浩輝騎手の中央GI初勝利も、良かった、良かった。<2002/06/02 21:50>
GII4勝を挙げたバラの騎士。セントライト記念(GII)、AJC杯(GII)、日経賞(GII)と中山得意の印象が強かったのですが、菊沢隆徳騎手を鞍上に、6歳春の目黒記念(GII)を差し切り勝ちしたのをよく覚えています。それにしても、お母さんのダイナフェアリー(1983.4.30)は偉いですねぇ。自身も重賞5勝の活躍馬。その上、サマーサスピション(1992.5.27)とローゼンカバリーという2頭の重賞勝ち馬まで出してしまうのですから。
今日は競馬を見ることができなかったのですが、ユニコーンS(GIII)はヒミツヘイキ(1999.6.14)が勝ったのですね。ジョーディシラオキ(1997.4.24)の弟です。ありゃ、父ダミスター(1982)が満16歳時の0交配馬でもあります。シラオキ(1946.4.7)系の、まさに秘密兵器?(笑)。<2002/06/01 21:56>