| シンボリルドルフ 鹿毛 1981.3.13 種付け時活性値:1.50  | 
パーソロン 鹿毛 1960  | 
Milesian 鹿毛 1953  | 
My Babu 1945 | 
| Oatflake 1942 | |||
| Paleo 鹿毛 1953  | 
★Pharis 1936 | ||
| Calonice 1940 | |||
| スイートルナ 栗毛 1972.5.4  | 
★スピードシンボリ 黒鹿毛 1963.5.3  | 
ロイヤルチャレンヂャー 1951 | |
| スイートイン 1958.2.23 | |||
| ダンスタイム 鹿毛 1957  | 
Palestine 1947 | ||
| Samaritaine 1949 | |||
| トウカイナチュラル 鹿毛 1982.5.20 仔受胎時活性値:1.25  | 
ナイスダンサー 鹿毛 1969.3.6 種付け時活性値:1.00  | 
Northern Dancer 鹿毛 1961  | 
Nearctic 1954.2.11 | 
| Natalma 1957.3.26 | |||
| Nice Princess 栗毛 1964  | 
Le Beau Prince 1952 | ||
| Happy Night 1957 | |||
| トウカイミドリ 鹿毛 1977.3.20 仔受胎時活性値:1.00  | 
ファバージ 鹿毛 1961.4.19 種付け時活性値:1.75  | 
Princely Gift 1951 | |
| Spring Offensive 1943 | |||
| トウカイクイン 鹿毛 1966.4.17 仔受胎時活性値:0.50  | 
アトランティス 鹿毛 1959 種付け時活性値:1.50  | 
||
| トップリュウ 黒鹿毛 1959.4.1 仔受胎時活性値:1.50  | 
| 父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 | 
|---|---|---|---|
| シンボリルドルフ (Djebel系)  | 
ナイスダンサー (Northern Dancer系)  | 
ファバージ (Princely Gift系)  | 
アトランティス (Djebel系)  | 
| 父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 | 
| 1.50 (6歳時交配)  | 
1.00 (12歳時交配)  | 
1.75 (15歳時交配)  | 
1.50 (6歳時交配)  | 
| 父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 | 
| Milesianの孫 | Nearcoの3代孫 | Nearcoの3代孫 | Milesianの仔 | 
| 8代残牡先祖数 | 4代血統構成 (資質固定指数)  | 
潜在能力値 | 少ない先祖etc | 
|---|---|---|---|
| 13/128 | E  A  A●  E (0.75)  | 
9.75 | 父初年度産駒 アトランティス  | 
| 形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? | 
| ファバージ (トウカイナチュラル)  | 
4.25 | 伯母トウカイローマン (No.19-B 星友系)  | 
2番仔 (2連産目)  | 
潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。
『天賦の才』トウカイテイオー。前年の有馬記念を1番人気11着と凡走して以来、中363日の長期休養明けながら堂々の有馬記念制覇でした。鞍上の田原成貴騎手は1983年のリードホーユー以来10年ぶりの有馬記念勝ち、管理された松元省一調教師は有馬記念初勝利となりました。父シンボリルドルフとの親仔グランプリ制覇は史上初でした。レースは、単勝1番人気の菊花賞馬ビワハヤヒデが2着、トウカイテイオーと同期のナイスネイチャが3年連続で3着となりました。
豊かな才能を持って生まれたトウカイテイオー。その独特の前脚を高く上げるフォームゆえに、地面を強く蹴ってしまうがゆえに、骨折を繰り返しました。しかし、その不屈の闘志は微塵も衰えることなく、1年ぶりとなったこの有馬記念でも見事に勝利しました。父シンボリルドルフがそうであったように、父の母の父スピードシンボリがそうであったように、強い精神力がこの一族(父方)の持ち味なのでしょう。
トウカイテイオーのダービーまでの戦績は、父シンボリルドルフと同じかそれ以上に完璧なものでした。しかし、悲しいかなトウカイテイオーは、父ほどには体力がありませんでした。中島理論的な解釈をすると、トウカイテイオーの料的遺伝値は「4.25」で、超々一流馬としてはあとひと押し物足りないものでした。一方、シンボリルドルフの料的遺伝値は「6.25」と強大で、さらにその母スイートルナが8歳時に受胎した仔どもでした。トウカイテイオーの孤高の才能に、残念ながら体力がついていかなかった。1番人気に押された1992年の天皇賞・春&天皇賞・秋、そして有馬記念。いずれも体力の弱さを見せつけるレースぶりとなってしまいました。
けれど、その一方で、1992年のジャパンカップやこの有馬記念のように、周囲の期待が自身の能力に見合うほど高くない時に、やすやすと勝利を収めてしまう。奇跡的ではありますが、決して奇跡ではない現実を示したトウカイテイオー。競走馬としての成績は、父に及びませんでした。しかし、彼は、ひとつだけ、間違いなく父より優れた才能を持っていました。それは、「たくさんの人の心を掴む」という才能。それに関してだけは、疑うことなく父よりも優れていました。