中島理論で見るGIレースの勝ち馬(1996年編)

サクラローレル
  • 栃栗毛
  • 1991.5.8生
  • 静内・谷岡牧場生産
  • 馬主・(株)さくらコマース
  • 美浦・境勝太郎厩舎
サクラローレルの4代血統表
Rainbow Quest(USA)
鹿毛 1981
種付け時活性値:0.25
Blushing Groom
栗毛 1974
Red God
栗毛 1954
Nasrullah 1940.3.2
Spring Run 1948
Runaway Bride
鹿毛 1962
Wild Risk 1940
Aimee 1957
I Will Follow
鹿毛 1975
▲Herbager
鹿毛 1956
Vandale 1943
Flagette 1951
Where You Lead
栗毛 1970
★Raise a Native 1961
Noblesse 1960
ローラローラ(FR)
栗毛 1985.3.23
仔受胎時活性値:1.25
[母の7番仔]
<仏1勝>
Saint Cyrien(FR)
鹿毛 1980
種付け時活性値:1.00
Luthier
黒鹿毛 1965
Klairon 1952
Flute Enchantee 1950
Sevres
鹿毛 1974
Riverman 1969
Saratoga 1966
Bold Lady(FR)
栗毛 1974
仔受胎時活性値:0.50
[母の5番仔]
<仏3勝>
ボールドラッドUSA
栗毛 1962.4.23
種付け時活性値:0.75
Bold Ruler 1954.4.6
Misty Morn 1952
Tredam(GB)
栗毛 1966
仔受胎時活性値:1.75
<不出走>
High Treason
栗毛 1951
種付け時活性値:1.50
Damasi
栗毛 1953
仔受胎時活性値:1.00
サクラローレルの4代血統構成&4代父系の活性値&4代父系の分枝状況
母父 祖母父 曾祖母父
Rainbow Quest
(Red God系)
Saint Cyrien
(Clarion系)
Bold Ruler
(Nasrullah系)
High Treason
(Fairway系)
父の活性値 母父の活性値 祖母父の活性値 曾祖母父の活性値
0.25
(9歳時交配)
1.00
(4歳時交配)
0.75
(11歳時交配)
1.50
(14歳時交配)
父の分枝状況 母父の分枝状況 祖母父の分枝状況 曾祖母父の分枝状況
Nasrullahの3代孫 Herod〜Tourbillon系 Nasrullahの孫 Phalarisの4代孫
サクラローレルのB&B理論的総括
8代残牡先祖数 4代血統構成
(資質固定指数)
潜在能力値 少ない先祖etc
9/128 A  E  A  A
(0.75)
6.75 Saint Cyrien
High Treason
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 何番仔?
High Treason
(Eastern Grandeur)
4.50 グルームダンサーと同牝系
(No.14)
2番仔
(2連産目)

潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。

[Notes]

『サクラ軍団初の有馬記念制覇』サクラローレル。1996年の掉尾を飾るグランプリ、第41回有馬記念。すっかり年末の一大行事として定着しました。およそ875億円の金額が投じられたこのレースの1番人気は、天皇賞・春の勝ち馬サクラローレルでした。2番人気にグランプリ3連覇を目指すマヤノトップガン(1992.3.24)、3番人気に天皇賞・秋4着から巻き返しを図るマーベラスサンデー(1992.5.31)、4番人気に秋華賞1着でジャパンカップ2着のファビラスラフイン(1993.4.13)、5番人気にエリザベス女王杯7着降着のヒシアマゾン(1991.3.26)と続きました。他にもホクトベガ(1990.3.26)ダンスパートナー(1992.5.25)ジェニュイン(1992.4.28)タイキフォーチュン(1993.2.9)エルウェーウィン(1990.2.24)などのGI勝ち馬も出走しており、いずれ劣らぬ役者揃いの1戦となりました。決戦の火ぶたは、定刻15時20分に切られました。

スタート。上級重賞ではおなじみとなったカネツクロス(1991.3.18)の先導によりレースは始まりました。そして2番手にマヤノトップガン、3番手にファビラスラフイン、4番手にマーベラスサンデーと続きました。上位人気馬が、サクラローレルより前の位置で競馬をしようとしていました。サクラローレルは、それらの馬を見る形で、悠然と、中段6〜7番手の位置にいました。カネツクロスの作り出したペースは、力のいる洋芝の馬場にしてはよどみない、平均ペースの流れでした。ほぼ一団の構えで、静かに流れて行きました。レースは、残り1000mを切った付近から、動き始めました。3角。いったん5番手並びに位置を下げていたマーベラスサンデーが、馬群の外側の方で「すっ」と動きました。武豊騎手が、少しだけ押しながら、3番手まで順位を上げました。それを見て、サクラローレルも徐々に進出。横山典弘騎手が追い加減に馬群前方へ取りつこうとしました。前を見ると、マヤノトップガンは馬なりで2番手を楽走していました。4角。カネツクロスの逃げを先頭に、手応え良くマヤノトップガン、外を仕掛け気味にマーベラスサンデー、その後ろ4番手にサクラローレルがいました。

直線。あれ程良い感じで進んでいたマヤノトップガンに、思うような伸びはありません。力のいる洋芝に脚を取られるような形で、追い比べに遅れを取りました。その代わり、外からマーベラスサンデーが必死の逃げ込み態勢に入ろうとしています。中山の芝状態を考えて先に仕掛けた武豊騎手の作戦は、成功したかに思えました。しかし、もうひとつ外から桃色の勝負服に桃色のバンテージ、目立ついでたちのサクラローレルが、あっさりと、ほんとにあっさりと抜き去りました。中山の急坂を迎えたにも関わらず、推進力豊かに四肢は回転していました。前脚は高く上がり、それが大地を蹴る毎に、後続との差を引き離しました。ゴールした瞬間には、マーベラスサンデーとの差は2馬身と2分の1もついていました。サクラローレル、全くの完勝でした。勝ち時計は2分33秒8、上りの4ハロンが49秒1、3ハロンが36秒8。欧州血統のサクラローレルにとっては、力のいる馬場もまるで問題になりませんでした。レースの2着はマーベラスサンデー、3着は内ラチ沿いを駆けたマイネルブリッジ(1992.4.28)、4着に3歳馬ロイヤルタッチ(1993.3.24)、5着に牝馬最先着のヒシアマゾンが入りました。


サクラローレルの牝系は、仏国で受け継がれている14号族。近親のグループレース勝ち馬は、祖母Bold Ladyの孫にグラン・クリテリウム(伊GI)を制したSteamer Duck(1988)がいるくらいです。4代母Damasiの別分枝には、ガネー賞(仏GI)など重賞3勝を挙げたヴェールタマンド(1988.1.26)、リュパン賞(仏GI)など8勝を挙げた輸入種牡馬グルームダンサー(1984.3.23)、ロイヤルオーク賞(仏GI)の勝ち馬Lady Berry(1970)、パリ大賞典(仏GI)の勝ち馬Le Nain Jaune(1979)−マジックナイト(1988.4.1)の父−、ヴェルメイユ賞(仏GI)の勝ち馬Indian Rose(1985)などが輩出されています。


サクラローレルという馬は、1996年の年度代表馬という最高の栄誉を手にした馬にも関わらず、全条件戦を勝ち上がった珍しい馬でした。私は、2度、サクラローレルを目の前で見ています。1度目は、1994年11月20日。ノースフライト(1990.4.12)がマイルCSを制した日の第7レース、900万条件戦の比良山特別に出走して勝利を収めたのが、小島太騎手騎乗のサクラローレルでした。その時はサクラバクシンオー(1989.4.14)の帯同馬でした。2度目は、1996年4月21日。そう、ナリタブライアン(1991.5.3)を豪快に差し切った第113回天皇賞・春。横山典弘騎手騎乗の5歳馬は、跳ねるようにして、馬場の真ん中を割って行きました。目を閉じれば、緑の芝と桃色の勝負服と栃栗毛の美しさが、私の脳裏に鮮やかに蘇ります。その血統構成&遺伝条件もあいまって、忘れられない名馬の1頭ですね。

種牡馬としては、初年度産駒からローマンエンパイア(1991.2.26)という重賞勝ち馬を出しました。やるなぁ、サクラローレル。「自身が大器晩成だったから種牡馬としてどうか」と思われていた馬でも、案外、早い時期から走る活躍馬を出すものです。このサクラローレルとか、タイキブリザード(1991.3.12)とか。この2頭に共通するのは、Northern Dancerを持たず、自身が異系の組み込まれた配合になっていることでしょうか。Nearco(1935.1.24)の分枝系でも、Nasrullahを通した系統が再び頑張っています。

期せずして、息子が重賞勝ち馬となった日にサクラローレルの記事を掲載できました。そんな縁もあって、ローマンエンパイアを追いかけてみましょうか。競馬というものは、「点」ではなく、やはり「線」で続いて行くものなのですね。

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