Rainbow Quest(USA) 鹿毛 1981 種付け時活性値:0.25 |
Blushing Groom 栗毛 1974 |
Red God 栗毛 1954 |
Nasrullah 1940.3.2 |
Spring Run 1948 | |||
Runaway Bride 鹿毛 1962 |
Wild Risk 1940 | ||
Aimee 1957 | |||
I Will Follow 鹿毛 1975 |
▲Herbager 鹿毛 1956 |
Vandale 1943 | |
Flagette 1951 | |||
Where You Lead 栗毛 1970 |
★Raise a Native 1961 | ||
Noblesse 1960 | |||
ローラローラ(FR) 栗毛 1985.3.23 仔受胎時活性値:1.25 [母の7番仔] <仏1勝> |
Saint Cyrien(FR) 鹿毛 1980 種付け時活性値:1.00 |
Luthier 黒鹿毛 1965 |
Klairon 1952 |
Flute Enchantee 1950 | |||
Sevres 鹿毛 1974 |
Riverman 1969 | ||
Saratoga 1966 | |||
Bold Lady(FR) 栗毛 1974 仔受胎時活性値:0.50 [母の5番仔] <仏3勝> |
ボールドラッドUSA 栗毛 1962.4.23 種付け時活性値:0.75 |
Bold Ruler 1954.4.6 | |
Misty Morn 1952 | |||
Tredam(GB) 栗毛 1966 仔受胎時活性値:1.75 <不出走> |
High Treason 栗毛 1951 種付け時活性値:1.50 |
||
Damasi 栗毛 1953 仔受胎時活性値:1.00 |
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
Rainbow Quest (Red God系) |
Saint Cyrien (Clarion系) |
Bold Ruler (Nasrullah系) |
High Treason (Fairway系) |
父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 |
0.25 (9歳時交配) |
1.00 (4歳時交配) |
0.75 (11歳時交配) |
1.50 (14歳時交配) |
父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 |
Nasrullahの3代孫 | Herod〜Tourbillon系 | Nasrullahの孫 | Phalarisの4代孫 |
8代残牡先祖数 | 4代血統構成 (資質固定指数) |
潜在能力値 | 少ない先祖etc |
---|---|---|---|
9/128 | A E A A (0.75) |
6.75 | Saint Cyrien High Treason |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
High Treason (Eastern Grandeur) |
4.50 | グルームダンサーと同牝系 (No.14) |
2番仔 (2連産目) |
潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。
『サクラ軍団初の有馬記念制覇』サクラローレル。1996年の掉尾を飾るグランプリ、第41回有馬記念。すっかり年末の一大行事として定着しました。およそ875億円の金額が投じられたこのレースの1番人気は、天皇賞・春の勝ち馬サクラローレルでした。2番人気にグランプリ3連覇を目指すマヤノトップガン(1992.3.24)、3番人気に天皇賞・秋4着から巻き返しを図るマーベラスサンデー(1992.5.31)、4番人気に秋華賞1着でジャパンカップ2着のファビラスラフイン(1993.4.13)、5番人気にエリザベス女王杯7着降着のヒシアマゾン(1991.3.26)と続きました。他にもホクトベガ(1990.3.26)、ダンスパートナー(1992.5.25)、ジェニュイン(1992.4.28)、タイキフォーチュン(1993.2.9)、エルウェーウィン(1990.2.24)などのGI勝ち馬も出走しており、いずれ劣らぬ役者揃いの1戦となりました。決戦の火ぶたは、定刻15時20分に切られました。
スタート。上級重賞ではおなじみとなったカネツクロス(1991.3.18)の先導によりレースは始まりました。そして2番手にマヤノトップガン、3番手にファビラスラフイン、4番手にマーベラスサンデーと続きました。上位人気馬が、サクラローレルより前の位置で競馬をしようとしていました。サクラローレルは、それらの馬を見る形で、悠然と、中段6〜7番手の位置にいました。カネツクロスの作り出したペースは、力のいる洋芝の馬場にしてはよどみない、平均ペースの流れでした。ほぼ一団の構えで、静かに流れて行きました。レースは、残り1000mを切った付近から、動き始めました。3角。いったん5番手並びに位置を下げていたマーベラスサンデーが、馬群の外側の方で「すっ」と動きました。武豊騎手が、少しだけ押しながら、3番手まで順位を上げました。それを見て、サクラローレルも徐々に進出。横山典弘騎手が追い加減に馬群前方へ取りつこうとしました。前を見ると、マヤノトップガンは馬なりで2番手を楽走していました。4角。カネツクロスの逃げを先頭に、手応え良くマヤノトップガン、外を仕掛け気味にマーベラスサンデー、その後ろ4番手にサクラローレルがいました。
直線。あれ程良い感じで進んでいたマヤノトップガンに、思うような伸びはありません。力のいる洋芝に脚を取られるような形で、追い比べに遅れを取りました。その代わり、外からマーベラスサンデーが必死の逃げ込み態勢に入ろうとしています。中山の芝状態を考えて先に仕掛けた武豊騎手の作戦は、成功したかに思えました。しかし、もうひとつ外から桃色の勝負服に桃色のバンテージ、目立ついでたちのサクラローレルが、あっさりと、ほんとにあっさりと抜き去りました。中山の急坂を迎えたにも関わらず、推進力豊かに四肢は回転していました。前脚は高く上がり、それが大地を蹴る毎に、後続との差を引き離しました。ゴールした瞬間には、マーベラスサンデーとの差は2馬身と2分の1もついていました。サクラローレル、全くの完勝でした。勝ち時計は2分33秒8、上りの4ハロンが49秒1、3ハロンが36秒8。欧州血統のサクラローレルにとっては、力のいる馬場もまるで問題になりませんでした。レースの2着はマーベラスサンデー、3着は内ラチ沿いを駆けたマイネルブリッジ(1992.4.28)、4着に3歳馬ロイヤルタッチ(1993.3.24)、5着に牝馬最先着のヒシアマゾンが入りました。
サクラローレルの牝系は、仏国で受け継がれている14号族。近親のグループレース勝ち馬は、祖母Bold Ladyの孫にグラン・クリテリウム(伊GI)を制したSteamer Duck(1988)がいるくらいです。4代母Damasiの別分枝には、ガネー賞(仏GI)など重賞3勝を挙げたヴェールタマンド(1988.1.26)、リュパン賞(仏GI)など8勝を挙げた輸入種牡馬グルームダンサー(1984.3.23)、ロイヤルオーク賞(仏GI)の勝ち馬Lady Berry(1970)、パリ大賞典(仏GI)の勝ち馬Le Nain Jaune(1979)−マジックナイト(1988.4.1)の父−、ヴェルメイユ賞(仏GI)の勝ち馬Indian Rose(1985)などが輩出されています。
サクラローレルという馬は、1996年の年度代表馬という最高の栄誉を手にした馬にも関わらず、全条件戦を勝ち上がった珍しい馬でした。私は、2度、サクラローレルを目の前で見ています。1度目は、1994年11月20日。ノースフライト(1990.4.12)がマイルCSを制した日の第7レース、900万条件戦の比良山特別に出走して勝利を収めたのが、小島太騎手騎乗のサクラローレルでした。その時はサクラバクシンオー(1989.4.14)の帯同馬でした。2度目は、1996年4月21日。そう、ナリタブライアン(1991.5.3)を豪快に差し切った第113回天皇賞・春。横山典弘騎手騎乗の5歳馬は、跳ねるようにして、馬場の真ん中を割って行きました。目を閉じれば、緑の芝と桃色の勝負服と栃栗毛の美しさが、私の脳裏に鮮やかに蘇ります。その血統構成&遺伝条件もあいまって、忘れられない名馬の1頭ですね。
種牡馬としては、初年度産駒からローマンエンパイア(1991.2.26)という重賞勝ち馬を出しました。やるなぁ、サクラローレル。「自身が大器晩成だったから種牡馬としてどうか」と思われていた馬でも、案外、早い時期から走る活躍馬を出すものです。このサクラローレルとか、タイキブリザード(1991.3.12)とか。この2頭に共通するのは、Northern Dancerを持たず、自身が異系の組み込まれた配合になっていることでしょうか。Nearco(1935.1.24)の分枝系でも、Nasrullahを通した系統が再び頑張っています。
期せずして、息子が重賞勝ち馬となった日にサクラローレルの記事を掲載できました。そんな縁もあって、ローマンエンパイアを追いかけてみましょうか。競馬というものは、「点」ではなく、やはり「線」で続いて行くものなのですね。