中島理論で見るGIレースの勝ち馬(1996年編)

ダンスパートナー
  • 鹿毛
  • 1992.5.25生
  • 千歳・社台ファーム生産
  • 馬主・吉田勝己氏
  • 栗東・白井寿昭厩舎
ダンスパートナーの4代血統表
サンデーサイレンス
青鹿毛 1986.3.25
種付け時活性値:1.25

Halo
黒鹿毛 1969.2.7
Hail to Reason
黒鹿毛 1958.4.18
Turn-to 1951
Nothirdchance 1948
Cosmah
鹿毛 1953.4.4
★Cosmic Bomb 1944
Almahmoud 1947 ♀
Wishing Well
鹿毛 1975.4.12
Understanding
栗毛 1963.2.17
★Promised Land 1954.3.31
Pretty Ways 1953.3.21
Mountain Flower
鹿毛 1964.3.23
Montparanasse 1956
Edelweiss 1959.2.15
ダンシングキイ
鹿毛 1983.5.21
仔受胎時活性値:2.00(0.00)
<不出走>
[母の2番仔]
Nijinsky
鹿毛 1967.2.21
種付け時活性値:1.75
Northern Dancer
鹿毛 1961.5.27
Nearctic 1954.2.11
Natalma 1957.3.26
Flaming Page
鹿毛 1959.4.24
Bull Page 1947
Flaring Top 1947
Key Partner
鹿毛 1976.3.26
仔受胎時活性値:1.50
<米2勝>
[母の3番仔]
Key to the Mint
鹿毛 1969
種付け時活性値:1.50
Graustark 1963
Key Bridge 1959
Native Partner
鹿毛 1966.4.5
仔受胎時活性値:0.25
<米11勝>
Raise a Native
栗毛 1961.4.18
種付け時活性値:1.00
Dinner Partner
鹿毛 1959
仔受胎時活性値:1.50
ダンスパートナーの4代血統構成&4代父系の活性値&4代父系の分枝状況
母父 祖母父 曾祖母父
サンデーサイレンス
(Hail to Reason系)
Nijinsky
(Northern Dancer系)
Key to the Mint
(Ribot系)
Raise a Native
(Native Dancer系)
父の活性値 母父の活性値 祖母父の活性値 曾祖母父の活性値
1.25
(5歳時交配)
1.75
(15歳時交配)
1.50
(6歳時交配)
1.00
(4歳時交配)
父の分枝状況 母父の分枝状況 祖母父の分枝状況 曾祖母父の分枝状況
Nearcoの5代孫 Nearcoの3代孫 Eclipseの17代孫 Phalarisの5代孫
ダンスパートナーのB&B理論的総括
8代残牡先祖数 4代血統構成
(資質固定指数)
潜在能力値 少ない先祖etc
10/128 A  A  B  x
(0.50)
5.00 父初年度産駒
Key to the Mint
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 何番仔?
Nijinsky 5.25 or 3.25 全弟ダンスインザダーク
(No.7)
6番仔
(6連産目)

潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。

[Notes]

『少女から淑女へ』ダンスパートナー。古馬開放となった最初のエリザベス女王杯。出走直前から波乱の様相を示した1戦でした。安田記念10着以来5ヶ月ぶりのレースとなったヒシアマゾン(1991.3.26)が、ゲートの下にもぐり込み外枠発走となったのです。同厩舎のもう1頭の名牝、ホクトベガ(1990.3.26)との初めての揃い踏みが嬉しかったのでしょうか。とにかくヒシアマゾンの外枠発走から始まったエリザベス女王杯。こういう時は、得てして、騒ぎを起こした馬を中心にレースが展開するものです。ポンとスタート良く飛び出したヒシアマゾンは、前方集団に取りついて気持ち良さそうに走っていました。そのヒシアマゾンを内からマークする位置で走っていたのが、ダンスパートナーでした。

直線。黒鹿毛馬が外から抜けて来ました。ヒシアマゾン。やはり力が違うのか。前年のジャパンカップ2着、前々年の有馬記念2着。古牡馬に混じって強いレースをしてきた馬は、やはり強いのか。そう思った刹那。内から1頭、鹿毛馬が抜け出して来ました。ダンスパートナー。こちらもこの年の京阪杯1着、宝塚記念3着、前年の菊花賞5着と牡馬に混じって走ってきました。さながら、男勝りのキャリアウーマン。その2頭のせめぎあい。外を回った黒鹿毛馬は、内の鹿毛馬に馬体を併せに行きました。「負けられない」というヒシアマゾンの意思がそうさせたのでしょうか。内に切れ込み加減で併せに行ったものの、わずかに届かず、鹿毛馬が先頭でゴールに飛び込みました。前週の全弟ダンスインザダーク(1993.6.5)の菊花賞制覇を受けて、全姉ダンスパートナーが前年のオークス以来のGI制覇を遂げた瞬間でした。同時に、前々週のバブルガムフェロー(1993.4.11)の天皇賞・秋制覇から、3週連続でサンデーサイレンス産駒がGIを勝利したことになります。芝2200mの勝ち時計は2分14秒3というスローの結末でした。ダンスパートナー鞍上の四位洋文騎手は、イシノサンデー(1993.5.29)の皐月賞に次ぐGI2勝目。管理された白井寿昭調教師は、前年のオークスに次ぐこれまたGI2勝目。オーナーは吉田勝己氏。生産は千歳・社台ファーム。やはりおなじみの取り合わせでした。また、2位入線したヒシアマゾンは、シャイニンレーサー(1991.3.10)の進路を妨害したことにより7着降着となり、結局3位入線のフェアダンス(1992.4.29)が2着繰り上がりとなりました。4位入線の3着には、逃げた3歳馬シーズグレイス(1993.5.21)が入りました。5位入線の4着は、上がり3ハロン33秒7のカミソリ脚を使ったホクトベガでした。


ダンスパートナーは翌1997年も現役を続行し、宝塚記念3着、京都大賞典2着、エリザベス女王杯2着と勝ち切れないものの善戦を続けました。通算24戦4勝、2着9回、3着3回。ひたむきに走り、稼いだ賞金は6億円を越えました。3歳初頭の冬の小倉開催で新馬勝ちを収めた小柄な牝馬は、デビューして間もないうちにチューリップ賞3着、桜花賞2着、オークス1着と上り詰めて行きました。そして、その3歳の夏には、敢然と仏国に遠征をしました。仏国ではノネット賞(GIII)2着、ヴェルメイユ賞(GI)6着と頑張りました。その後帰国し、これまた敢然と牡馬相手となる菊花賞で5着にふんばりました。その走破時計3分5秒0は、弟が菊花賞を制した時より0秒1速いタイムになります。ものすごいタフさ……。ひとつ年上にはヒシアマゾン、ひとつ年下にはエアグルーヴ(1993.4.6)。豪牝が牡馬たちを圧倒する姿は、『強さ』の表現として、私たちにもよく分かります。けれど、ダンスパートナーの『強さ』というのは、ちょっと違ったものであったように思います。どんな場所、どんな条件で走っても決して動じない、ひるまない『精神力』。いつでも一途に走るその『姿勢』こそが、ダンスパートナーの『強さ』だったと思います。確かに、牡馬たちを圧倒するような力強さはなかったかも知れません。けれど、牡牝混合重賞で控えめに負ける姿は、かえって女馬らしかった。

弾むように駆けたオークスでは「おてんば娘」だった彼女。いつの間にか「淑女」になっていました。時を旅して「大人」になるのは、人間も馬も同じでした。

[中島理論で見るGIレースの勝ち馬(1996年編)]  目次へ戻る

2000〜2008  オオハシ  colorfulmelody.nakajima@gmail.com