★ Theatrical 鹿毛 1982.3.13 種付け時活性値:0.00 |
Nureyev 鹿毛 1977.5.2 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Special 鹿毛 1969.3.28 |
Forli 1963 | ||
Thong 1964.4.23 | |||
Tree of Knowledge 鹿毛 1977 |
Sassafras 鹿毛 1967 |
Sheshoon 1956 | |
Ruta 1960 | |||
Sensibility 鹿毛 1971 |
Hail to Reason 1958.4.18 | ||
Pange 1955 | |||
Katies 黒鹿毛 1981.4.22 仔受胎時活性値:0.25 |
ノノアルコ 鹿毛 1971.4.6 種付け時活性値:0.25 |
★Nearctic 黒鹿毛 1954 |
Nearco 1935.1.24 |
Lady Angela 1944 | |||
Seximee 栗毛 1966 |
Hasty Road 1951 | ||
Jambo 1959 | |||
Mortefontaine 鹿毛 1969.4.21 仔受胎時活性値:0.75 |
ポリック 黒鹿毛 1953 種付け時活性値:1.75 |
Relic 1945 | |
Polaire 1947 | |||
Brabantia 黒鹿毛 1953 仔受胎時活性値:1.75 |
Honeyway 黒鹿毛 1941 種付け時活性値:0.75 |
||
Porthaven 鹿毛 1943 仔受胎時活性値:0.25 |
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
Theatrical (Northern Dancer系) |
ノノアルコ (Nearctic系) |
ポリック (Relic系) |
Honeyway (Fairway系) |
父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 |
0.00 (8歳時交配) |
0.25 (9歳時交配) |
1.75 (15歳時交配) |
0.75 (11歳時交配) |
父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 |
Nearcticの3代孫 | Nearcticの仔 | Matchem〜Man o'War系 | Phalarisの孫 |
8代残牡先祖数 | 4代血統構成 (資質固定指数) |
潜在能力値 | 少ない先祖etc |
---|---|---|---|
4/128 | ★A A D A (0.66) |
2.64 | ポリック Honeyway |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
ポリック (Mafubah) |
3.00 | 母が愛1000ギニー馬 (No.7) |
5番仔 (5連産目) |
潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。
『舶来の女闘士』ヒシアマゾンと『栗毛の祝歌』チョウカイキャロル。おなじ1991年3月26日生まれの2頭の名牝に、オークス3着馬アグネスパレードを加えた3頭による、直線火の出るような叩き合い。「ハナ」「クビ」差の大接戦を制したのは、黒鹿毛の外国産馬ヒシアマゾンでした。勝ち時計2分24秒3は前年のホクトベガの記録を破るレース・レコードタイムでした。鞍上の中館英二騎手はエリザベス女王杯初勝利、管理された中野隆良調教師は前年に続き連勝されました。
ヒシアマゾンの牝系は、7号族Porthaven系。母Katies(愛国産)は英愛で4勝。主な勝ち鞍に愛1000ギニー、コロネーションS。その父ノノアルコにとってMelyno、Noalcoholicと並ぶ海外の代表産駒の1頭。Katiesの初仔Katies Firstは英仏で準重賞勝ち、4番仔ヒシアリダーは日本で種牡馬入り、5番仔としてヒシアマゾンを輩出しました。その後、8番仔としてフェアリーS勝ち馬ヒシナイルを出しました。祖母Mortefontaine(仏国産)は1勝馬。4番仔に英国で6勝を挙げたMillfontaineを、5番仔にKatiesを輩出しました。曾祖母Brabantia(英国産)は0勝馬。不受胎後の4番仔Polyfotoは英仏米で10勝。主な勝ち鞍にナンソープS(現英GI)、テンプルS(現英GII)、キング・ジョージS(現英GIII)など。空胎後の10番仔にMortefontaineを輩出しました。
ヒシアマゾンは次のレースに年末の大一番、有馬記念を選びました。単勝6番人気でしたがナリタブライアンの2着に頑張りました。デビュー以来の12戦連続連対で3歳を終えた彼女は、最優秀3歳牝馬に選ばれました。陣営は、4歳春の目標を彼女の生まれ故郷である米国のGI戦、サンタアナHに定めました。が、「左前脚球節の捻挫」により、残念ながら出走がなりませんでした。失意のままに帰国した影響があったのでしょうか、4歳緒戦となった7月の高松宮杯では、初めて連対を外す5着に敗れてしまいました。しかし、彼女は立ち直り、続くオールカマー、京都大賞典とGIIを連勝。そして、ナリタブライアンが右股関節炎で苦しんでいる中、日本の『エース』としてジャパンカップに出場。結果はランドの2着でしたが、十二分な激走であったと思います。次走の有馬記念は1番人気で5着に敗れましたが、彼女は最優秀4歳以上牝馬に選出され、3年連続でJRA賞を受賞しました。明けて、5歳。馬体調整後、5ヶ月ぶりのぶっつけで挑んだ安田記念で、彼女は生涯唯一の2ケタ着順である10着に敗れてしまいました。その後、ツメの不安で再び休養。「もう、彼女の強いところは見られないのでは」と思っていたところ、古馬に開放されたエリザベス女王杯で、彼女は往時の末脚を見せてくれました。同厩舎のもう1頭の名牝、ホクトベガとの初めての揃い踏みが嬉しかったのでしょうか、レース発走時ゲートの下にもぐり込み、外枠発走となった彼女。それでも、キッチリとダンスパートナーの2着に「入線」しました−他馬への進路妨害で7着降着になりましたが−。次走、3年連続で出走となった有馬記念で5着となり、グランプリ3年連続掲示板確保を残して、彼女はターフを去って行きました。
私の印象に強く残っているのは、3歳時の阪神3歳牝馬Sです。1頭だけ違う競馬をしていました。あのレースでは先行策から押しきったように、スマートな競馬もできる馬でした−誰や、あんな追い込み馬にしたのは(苦笑)−。
真っ黒で迫力あるその馬体、舶来、名前、レースっぷりから雄々しいイメージを持たれがちな彼女ですが、私には高貴で女性的なイメージが残ります。何故だか、そうなのです。「母が愛1000ギニー馬」という良家のお嬢様だからでしょうか。なんにせよ、本当の名牝の1頭でした。やっぱりスゴイことですよ、3歳牝馬が有馬記念で2着になるなんて。