| サンデーサイレンス 青鹿毛 1986.3.25 種付け時活性値:1.25  | 
★ Halo 黒鹿毛 1969.2.7  | 
Hail to Reason 黒鹿毛 1958.4.18  | 
Turn-to 1951 | 
| Nothirdchance 1948 | |||
| Cosmah 鹿毛 1953.4.4  | 
★Cosmic Bomb 1944 | ||
| Almahmoud 1947 ♀ | |||
| Wishing Well 鹿毛 1975.4.12  | 
Understanding 栗毛 1963.2.17  | 
★Promised Land 1954.3.31 | |
| Pretty Ways 1953.3.21 | |||
| Mountain Flower 鹿毛 1964.3.23  | 
Montparanasse 1956 | ||
| Edelweiss 1959.2.15 | |||
| ダンシングキイ 鹿毛 1983.5.21 仔受胎時活性値:2.00(0.00) <不出走> [母の2番仔]  | 
Nijinsky 鹿毛 1967.2.21 種付け時活性値:1.75  | 
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27  | 
Nearctic 1954.2.11 | 
| Natalma 1957.3.26 | |||
| Flaming Page 鹿毛 1959.4.24  | 
Bull Page 1947 | ||
| Flaring Top 1947 | |||
| Key Partner 鹿毛 1976.3.26 仔受胎時活性値:1.50 <米2勝> [母の3番仔]  | 
Key to the Mint 鹿毛 1969 種付け時活性値:1.50  | 
Graustark 1963 | |
| Key Bridge 1959 | |||
| Native Partner 鹿毛 1966.4.5 仔受胎時活性値:0.25 <米11勝>  | 
Raise a Native 栗毛 1961.4.18 種付け時活性値:1.00  | 
||
| Dinner Partner 鹿毛 1959 仔受胎時活性値:1.50  | 
| 父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 | 
|---|---|---|---|
| サンデーサイレンス (Hail to Reason系)  | 
Nijinsky (Northern Dancer系)  | 
Key to the Mint (Ribot系)  | 
Raise a Native (Native Dancer系)  | 
| 父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 | 
| 1.25 (5歳時交配)  | 
1.75 (15歳時交配)  | 
1.50 (6歳時交配)  | 
1.00 (4歳時交配)  | 
| 父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 | 
| Nearcoの5代孫 | Nearcoの3代孫 | Eclipseの17代孫 | Phalarisの5代孫 | 
| 8代残牡先祖数 | 4代血統構成 (資質固定指数)  | 
潜在能力値 | 少ない先祖etc | 
|---|---|---|---|
| 10/128 | A  A  B  x (0.50)  | 
5.00 | 父初年度産駒 Key to the Mint  | 
| 形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? | 
| Nijinsky | 5.25 or 3.25 | 全弟ダンスインザダーク (No.7)  | 
6番仔 (6連産目)  | 
潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。
『少女から淑女へ』ダンスパートナー。古馬開放となった最初のエリザベス女王杯。出走直前から波乱の様相を示した1戦でした。安田記念10着以来5ヶ月ぶりのレースとなったヒシアマゾン(1991.3.26)が、ゲートの下にもぐり込み外枠発走となったのです。同厩舎のもう1頭の名牝、ホクトベガ(1990.3.26)との初めての揃い踏みが嬉しかったのでしょうか。とにかくヒシアマゾンの外枠発走から始まったエリザベス女王杯。こういう時は、得てして、騒ぎを起こした馬を中心にレースが展開するものです。ポンとスタート良く飛び出したヒシアマゾンは、前方集団に取りついて気持ち良さそうに走っていました。そのヒシアマゾンを内からマークする位置で走っていたのが、ダンスパートナーでした。
直線。黒鹿毛馬が外から抜けて来ました。ヒシアマゾン。やはり力が違うのか。前年のジャパンカップ2着、前々年の有馬記念2着。古牡馬に混じって強いレースをしてきた馬は、やはり強いのか。そう思った刹那。内から1頭、鹿毛馬が抜け出して来ました。ダンスパートナー。こちらもこの年の京阪杯1着、宝塚記念3着、前年の菊花賞5着と牡馬に混じって走ってきました。さながら、男勝りのキャリアウーマン。その2頭のせめぎあい。外を回った黒鹿毛馬は、内の鹿毛馬に馬体を併せに行きました。「負けられない」というヒシアマゾンの意思がそうさせたのでしょうか。内に切れ込み加減で併せに行ったものの、わずかに届かず、鹿毛馬が先頭でゴールに飛び込みました。前週の全弟ダンスインザダーク(1993.6.5)の菊花賞制覇を受けて、全姉ダンスパートナーが前年のオークス以来のGI制覇を遂げた瞬間でした。同時に、前々週のバブルガムフェロー(1993.4.11)の天皇賞・秋制覇から、3週連続でサンデーサイレンス産駒がGIを勝利したことになります。芝2200mの勝ち時計は2分14秒3というスローの結末でした。ダンスパートナー鞍上の四位洋文騎手は、イシノサンデー(1993.5.29)の皐月賞に次ぐGI2勝目。管理された白井寿昭調教師は、前年のオークスに次ぐこれまたGI2勝目。オーナーは吉田勝己氏。生産は千歳・社台ファーム。やはりおなじみの取り合わせでした。また、2位入線したヒシアマゾンは、シャイニンレーサー(1991.3.10)の進路を妨害したことにより7着降着となり、結局3位入線のフェアダンス(1992.4.29)が2着繰り上がりとなりました。4位入線の3着には、逃げた3歳馬シーズグレイス(1993.5.21)が入りました。5位入線の4着は、上がり3ハロン33秒7のカミソリ脚を使ったホクトベガでした。
ダンスパートナーは翌1997年も現役を続行し、宝塚記念3着、京都大賞典2着、エリザベス女王杯2着と勝ち切れないものの善戦を続けました。通算24戦4勝、2着9回、3着3回。ひたむきに走り、稼いだ賞金は6億円を越えました。3歳初頭の冬の小倉開催で新馬勝ちを収めた小柄な牝馬は、デビューして間もないうちにチューリップ賞3着、桜花賞2着、オークス1着と上り詰めて行きました。そして、その3歳の夏には、敢然と仏国に遠征をしました。仏国ではノネット賞(GIII)2着、ヴェルメイユ賞(GI)6着と頑張りました。その後帰国し、これまた敢然と牡馬相手となる菊花賞で5着にふんばりました。その走破時計3分5秒0は、弟が菊花賞を制した時より0秒1速いタイムになります。ものすごいタフさ……。ひとつ年上にはヒシアマゾン、ひとつ年下にはエアグルーヴ(1993.4.6)。豪牝が牡馬たちを圧倒する姿は、『強さ』の表現として、私たちにもよく分かります。けれど、ダンスパートナーの『強さ』というのは、ちょっと違ったものであったように思います。どんな場所、どんな条件で走っても決して動じない、ひるまない『精神力』。いつでも一途に走るその『姿勢』こそが、ダンスパートナーの『強さ』だったと思います。確かに、牡馬たちを圧倒するような力強さはなかったかも知れません。けれど、牡牝混合重賞で控えめに負ける姿は、かえって女馬らしかった。
弾むように駆けたオークスでは「おてんば娘」だった彼女。いつの間にか「淑女」になっていました。時を旅して「大人」になるのは、人間も馬も同じでした。