ダンシングブレーヴ 鹿毛 1983.5.11 種付け時活性値:0.50 |
Lyphard 鹿毛 1969 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Goofed 栗毛 1960.3.29 |
Court Martial 1942 | ||
Barra 1950 | |||
Navajo Princess 鹿毛 1974.3.31 |
Drone 芦毛 1966 |
Sir Gaylord 1959 | |
Cap and Bells 1958 | |||
Olmec 栗毛 1966 |
Pago Pago 1960 | ||
Chocolate Beau 1958 | |||
インターシャルマン 鹿毛 1987.3.12 仔受胎時活性値:1.50 <中央4勝> |
ブレイヴェストローマン 鹿毛 1972.5.19 種付け時活性値:1.50 |
Never Bend 鹿毛 1960.3.15 |
Nasrullah 1940.3.2 |
Lalun 1952 | |||
Roman Song 鹿毛 1955 |
Roman 1937 | ||
Quiz Song 1948 | |||
トキノシュリリー 栗毛 1978.4.21 仔受胎時活性値:2.00(0.00) <不出走> |
スティンティノ 鹿毛 1967 種付け時活性値:0.50 |
Sheshoon 1956 | |
Cynara 1958 | |||
トミニシキ 栗毛 1967.2.21 仔受胎時活性値:0.50 <不出走> |
★ユアハイネス 栗毛 1958 種付け時活性値:0.00 |
||
スズキナルビー 栗毛 1960.4.15 仔受胎時活性値:1.50 <中央4勝(平地2勝+障害2勝)> |
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
ダンシングブレーヴ (Northern Dancer系) |
ブレイヴェストローマン (Never Bend系) |
スティンティノ (Hurry On系) |
ユアハイネス (Hurry On系) |
父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 |
0.50 (10歳時交配) |
1.50 (14歳時交配) |
0.50 (10歳時交配) |
0.00 (8歳時交配) |
父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 |
Nearcoの4代孫 | Nearcoの3代孫 | Hurry Onの3代孫 | Hurry Onの3代孫 |
8代残牡先祖数 | 4代血統構成 (資質固定指数) |
潜在能力値 | 少ない先祖etc |
---|---|---|---|
26/128 | A A D ★D (0.66) |
17.16 | スティンティノ ユアハイネス |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
ブレイヴェストローマン (Quiz Song) |
5.50 or 3.50 | シュリリー系 (No.7-D) |
2番仔 (2連産目) |
潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。
『雨も大外枠も関係なく』キョウエイマーチ。
数多の名牝たちを生み出していった仁川の桜の舞台。クラシック第1弾となる桜花賞(GI)も、馬齢を重ねて57回目を迎えました。1997年の桜花賞戦線は、前年の阪神3歳牝馬S(GI)を制した『ライアンの娘』メジロドーベル(1994.5.6)が、圧倒的な人気を集めるはずでした。しかし、前走となったチューリップ賞(GIII)で、レースの道中に口を割ってしまい、「折り合いを欠く」という難しい一面を見せてしまいました。その結果3着と敗れ、桜花賞戦線にちょっとした暗雲が立ち込めました。そんな時に現れたのが、キョウエイマーチでした。キラ星の如く現れたダンシングブレーヴの娘は、前走となった報知杯4歳牝馬特別(GII)を、7馬身差で圧勝してきました。阪神3歳牝馬Sでメジロドーベルと好勝負したシーズプリンセス(1994.4.1)を問題にしなかったのですから、人心は、当然のようにそちらへ流れて行きました。桜花賞当日の単勝はキョウエイマーチが1番人気(2.6倍)、メジロドーベルが2番人気(3.4倍)、大きく離れた3番人気がシーズプリンセス、以下オレンジピール(1994.3.15)、フミノパラダイス(1994.4.8)、プロモーション(1994.3.30)と続きました。
あいにくの雨模様、不良馬場となった第57回桜花賞。大外8枠18番となった1番人気馬は、悠然と、1番最後にゲートに収まりました。スタート。1枠2番のミニスカート(1994.5.16)が好スタートを決める中、キョウエイマーチはそこそこのスタート、メジロドーベルもまずまずという感じでゲートを出ました。上村洋行騎手に操られたミニスカートは敢然とハナに立ち、大外から被せるようにしてキョウエイマーチが競りかけて行きました。先に行きたがるキョウエイマーチを必死になだめようと、松永幹夫騎手は引き加減に手綱を絞られていました−いつも思うのですが、ミッキーの引き加減の手綱は、周りを幻惑させるためのポーズなのでしょうか?−。対するメジロドーベルはスタート直後に後ろへ下げ、2コーナーでは最後方でした。レースは、最後方のワンダーステラ(1994.3.31)を除く17頭が、比較的馬群を詰めたままの状態で流れていき、半マイルを46秒9で通過。その頃にはキョウエイマーチの折り合いもつき、気分よく2番手を走っていました。3コーナーから4コーナー。馬群ひと塊の後方、10番手の位置にいたメジロドーベルが徐々に進出を開始して、外から順位を上げて行きました。直線入り口。最内を駆けるミニスカートの手応えはまだ残っている状態で、その外からキョウエイマーチが並びかけました。メジロドーベルも5番手位置まで押し上げていました。直線の坂に差しかかり、先に行くミニスカートの手応えが怪しくなったところで、キョウエイマーチにムチが入りました。不良馬場をものともしない、前脚を鋭くかき込む走法で、あっという間に後方にいる馬たちとの差をつけました。メジロドーベルも必死に伸びましたが、前に追いつくほどの脚色ではありません。キョウエイマーチ、ラチ沿いを一人旅。雨中の桜決戦、雨も大外枠も関係なく、キョウエイマーチ。2着のメジロドーベルに4馬身の差をつけて、見事に桜の女王の栄冠を手に入れました。レースの勝ち時計は1分36秒9、上がりの3ハロンが37秒7という結末でした。なお、レースの3着にはホーネットピアス(1994.5.20)、4着にはワンダーステラ、5着にはオレンジピールが入りました。
キョウエイマーチの鞍上は松永幹夫騎手。前年の第1回秋華賞(GI)に続く牝馬GIの制覇となりました。また、1991年の桜花賞において1番人気だったイソノルーブル(1988.3.13)で5着に敗れた借りを、ここで返されたことになります。合わせて、この桜花賞初制覇により、3歳牝馬限定GIを全て手中に収められました。キョウエイマーチを管理されたのは栗東所属の野村彰彦調教師。これが初のGI制覇でした。オーナーは松岡正雄氏。インターグロリア(1974.5.1)による第37回桜花賞以来、20年ぶりの桜花賞優勝でした。生産は北海道門別町のインターナショナル牧場。生産馬によるGI制覇は初めてのことでした。
キョウエイマーチの最優性先祖は母父ブレイヴェストローマン、形相の対象はQuiz Songと判断しました。ブレイヴェストローマンは、現役時代米国で25戦9勝。その主な勝ち鞍にはサラナクS(GII、ダ8F)があります。種牡馬としての代表産駒には、ニ冠牝馬マックスビューティ(1984.5.3)、オークス(GI)馬トウカイローマン(1981.5.19)、桜花賞(GI)馬オグリローマン(1991.5.20)、加オークス(GI)の勝ち馬First Summer Day(1980)、帝王賞(現統一GI)馬オサイチブレベスト(1984)、高松宮杯(旧GII)と日経新春杯(GII)を制したランドヒリュウ(1982.4.12)、東海菊花賞馬グレートローマン(1981)、東京盃(統一GII)2連覇のカガヤキローマン(1993.4.20)、1994年の最優秀ダート馬フジノマッケンオー(1991.3.11)、1993年の最優秀ダート馬メイショウホムラ(1988.2.17)、小倉3歳S(GIII)の勝ち馬マルカアイリス(1990.4.11)、金杯(現中山金杯、GIII)を勝ったトチノニシキ(1982.4.6)、フェブラリーH(当時GIII)を勝ったローマンプリンス(1981.5.29)など重賞勝ち馬を多数輩出しました。また、代表産駒を見れば分かるように、名うてのダートサイアーとして知られており、1991年から1994年まで4年連続でダートリーディングサイアーに輝きました。
キョウエイマーチの牝系は、7号族シュリリー(1925)系。同牝馬は歌手・小沢健一さんの母父としても有名な下河辺孫一氏が、1930年に豪州より輸入されました。キョウエイマーチの5代母となるクインナルビー(1949)は天皇賞・秋の勝ち馬です。「ナルビー」の響きが出てくると、思い出される馬がいますね。そう、クインナルビーの分枝からは『平成のアイドル』オグリキャップ(1985.3.27)、前出の桜花賞馬オグリローマンが輩出されています。キョウエイマーチ自身の近親には、大井の東京オリンピック記念を勝ったインターヒリュウ(1971.3.11)がいるくらいです。地味に継承されてきた牝系から、久しぶりに出た活躍馬がキョウエイマーチでした。
キョウエイマーチは桜花賞の後も活躍を続けました。オークスこそ大敗してしまいましましたが、一夏を越えた後のローズS(GII)1着、秋華賞2着、マイルCS(GI)2着と頑張り、3歳の強い牝馬の一角として、一線級を相手に伍して戦いました。また、消長の激しい牝馬なのに長く現役を続けて、5歳春には阪急杯(GIII)制覇、6歳最初の京都金杯(GIII)を1分33秒4の快時計勝ちしました。私は京都金杯をTVで観戦していたのですが、直線後続を置き去りにしたスピードを見て、あ然としてしまいました。2着のアドマイヤカイザー(1996.5.9)を5馬身ちぎっていました。「格が違うというのは、こういうことなのか」と思いました。結局、その京都金杯が最後の勝利となったのですが、「速さ」と「タフさ」が印象に残る馬でした。1200mから2000mまでの重賞を合計で5勝。ホントの名牝でしたよ、キョウエイマーチ。
1着−桜花賞(GI) ローズS(GII) 報知杯4歳牝馬特別(GII) 京都金杯(GIII) 阪急杯(GIII)
2着−秋華賞(GI) マイルCS(GI) 南部杯(統一GI) マイラーズC(GII)
3着−マイラーズC(GII) 黒船賞(統一GIII)
通算28戦8勝、2着4回、3着3回(中央、地方合わせて)。