メジロライアン 鹿毛 1987.4.11 種付け時活性値:1.50 |
アンバーシャダイ 鹿毛 1977.3.10 |
ノーザンテースト 栗毛 1971.3.15 |
▲Northern Dancer 1961.5.27 |
Lady Victoria 1962.2.20 | |||
クリアアンバー 黒鹿毛 1967.5.8 |
★Ambiopoise 1958 | ||
One Clear Call 1960 | |||
メジロチェイサー 鹿毛 1977.3.2 |
メジロサンマン 鹿毛 1963.3.26 |
Charlottesville 1957 | |
パラディシア 1957 | |||
シェリル 鹿毛 1971.5.15 |
スノッブ 1959 | ||
Chanel 1961 | |||
メジロビューティー 鹿毛 1982.3.5 仔受胎時活性値:0.75 <中央2勝。スイートピー賞(現OP)勝ち> [母の4番仔] |
パーソロン 鹿毛 1960 種付け時活性値:1.25 |
Milesian 鹿毛 1953 |
My Babu 1945 |
Oatflake 1942 | |||
Paleo 鹿毛 1953 |
★Pharis 1936 | ||
Calonice 1940 | |||
メジロナガサキ 栗毛 1971.3.20 仔受胎時活性値:0.50 <中央7勝。オールカマー(現GII)3着> [母の4番仔] |
ネヴァービート 栃栗毛 1960 種付け時活性値:0.50 |
★Never Say Die 1951 | |
Bride Elect 1952 | |||
メジロボサツ 栗毛 1963.5.12 仔受胎時活性値:1.75 <中央9勝。朝日杯3歳S(現GI)勝ち> |
モンタヴァル 鹿毛 1953.1.28 種付け時活性値:0.25 |
||
メジロクイン 鹿毛 1957.5.20 仔受胎時活性値:1.25 |
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
メジロライアン (Northern Dancer系) |
パーソロン (Tourbillon系) |
ネヴァービート (Nasrullah系) |
モンタヴァル (Blandford系) |
父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 |
1.50 (6歳時交配) |
1.25 (21歳時交配) |
0.50 (10歳時交配) |
0.25 (9歳時交配) |
父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 |
Nearcoの5代孫 | Herod〜Tourbillon系 | Nearcoの3代孫 | Birdcatcherの10代孫 |
8代残牡先祖数 | 4代血統構成 (資質固定指数) |
潜在能力値 | 少ない先祖etc |
---|---|---|---|
11/128 | A E A● F (0.50) |
5.50 | 父初年度産駒 モンタヴァル |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
メジロライアン | 4.25 | デヴォーニア系 (No.10-D) |
6番仔 (3連産目) |
潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。
『ライアンの娘』メジロドーベル。旧阪神3歳Sから通算では48回目、2歳牝馬王者決定戦になってからでは6回目となった阪神3歳牝馬S−レース名は当時のまま−。ここは、前走のデイリー杯3歳Sを圧勝した武豊騎手のシーキングザパール(1994.4.16)が圧倒的な1番人気を集めました。それに続く2番人気が『東の豊』こと吉田豊騎手のメジロドーベル、3番人気が四位洋文騎手の『四位のお姫様』シーズプリンセス(1994.4.1)でした。
レースは、河内洋騎手のスーパードレス(1994.4.1)のスタートダッシュから始まりました。出脚良く逃げたマル外牝馬は、前半から飛ばして行きました。最初の1ハロンこそ12秒5のラップでしたが、その後3ハロンを10秒8、10秒8、11秒6と駆けて、前半4ハロンの通過タイムが45秒7。明け3歳の桜花賞に勝るとも劣らない快時計でレースが流れて行きました。有力馬の位置取りは、シーキングザパールは前を見ながら3番手、メジロドーベルは5番手集団の真ん中、シーズプリンセスはほぼ最後方位置でじっと構えていました。
3コーナーから4コーナー。馬群が縮まりつつあるところを、メジロドーベルが手応え良く進出して3番手の外側につけました。メジロドーベルの内側にいたシーキングザパールは、最内を通りながらもあまり反応が良くない様子。シーズプリンセスは外外を回りながら差を詰めて行きました。直線。必死の逃げ込みを図るスーパードレスの外を、思うように伸びないシーキングザパールを尻目に、『ライアンの娘』が豪脚を発揮して一筋に伸びました。師走の凛とした空気を切り裂いて、メジロドーベルが力強くゴールまで駆け抜けました。1頭だけ違う競馬でした。シーズプリンセスが追い込んだものの2馬身差届かず2着、スーパードレスが粘り腰で3着、シーキングザパールは阪神が合わなかったのか4着に終わりました。レースの勝ち時計は1分34秒6。2年前に『レコード娘』ヤマニンパラダイス(1992.4.25)が打ち立てた1分34秒7を0秒1破るレコードタイムでした。
メジロドーベル鞍上の吉田豊騎手、管理された大久保洋吉調教師ともにGI初制覇となりました。吉田騎手は重賞初制覇がGIとなり、大久保師は阪神3歳牝馬S当日−1996年12月1日−が開業20年目の節目の日でした。オーナーはメジロ商事(株)、生産はメジロ牧場。メジロにとっても、1993年のメジロマックイーン(1987.4.3)の宝塚記念以来3年ぶりとなるGI制覇でした。
メジロドーベル出生時のお話は、皆様もよくご存知のことと思います。当時の『優駿』の記事を振り返りましたら、以下のように書いてありました。
ドーベルの1歳上にサンデーサイレンスの仔がいたが、生まれてすぐにひどい黄疸が出た。そしてその仔がたび重なる輸血の結果、感染症を併発して命を落とすに及んで、メジロビューティの血液は、検査に出されることになった。その結果分かったことは、少し深刻だったのだ。ビューティの血液型と適合するのは、日本の種牡馬の約22%だけ―、しかしその時点ですでに、ビューティはライアンの種(ドーベル)を宿していたのである。そしてライアンは、「22%」の中には含まれていなかった……。
−『優駿』、1997年2月号、P39の記事より抜粋。−
お父さんとお母さんの血液の相性が悪く、ドーベルは実の母から初乳をもらうことがままなりませんでした。母の初乳を飲むと、ヘタをすると貧血で死んでしまうかもしれなかったそうです。しかしご存知の通り、馬は初乳を飲んで、初めて免疫力をつけることができます。ドーベルは、片目の見えない乳母メジロローラント(1980)−阪神3歳S3着馬メジロゴスホーク(1984)の半姉−から、初乳をもらった馬でした。
生まれる前から「ハンデ戦」だったメジロドーベル。しかしながら、彼女の身には再び災難が降りかかるのです……。そのお話は、次にドーベルがGIを勝った時の[Notes]で書きましょう。