★ メジロティターン 芦毛 1978.3.22 種付け時活性値:0.00(Ex.P) |
メジロアサマ 芦毛 1966.2.23 |
パーソロン 鹿毛 1960 |
Milesian 1953 |
Paleo 1953 | |||
スヰート 芦毛 1951 |
First Fiddle 1939 | ||
Blue Eyed Momo 1944 | |||
シェリル 鹿毛 1971.5.15 |
スノッブ 鹿毛 1959 |
Mourne 1954 | |
Senones 1952 | |||
Chanel 黒鹿毛 1961 |
Pan 1947 | ||
Barley Corn 1950 | |||
メジロオーロラ 栗毛 1978.3.8 仔受胎時活性値:2.00 <中央1勝> |
リマンド 栗毛 1965 種付け時活性値:1.00 |
Alcide 鹿毛 1955 |
▲Alycidon 1945.3.15 |
Chenille 1940 | |||
Admonish 栗毛 1958 |
Palestine 1947 | ||
Warning 1950 | |||
メジロアイリス 黒鹿毛 1964.4.8 仔受胎時活性値:1.25 <中央3勝> |
ヒンドスタン 黒鹿毛 1946 種付け時活性値:0.25 |
▲Bois Roussel 1935 | |
Sonibai 1939 | |||
アサマユリ 栗毛 1959.3.17 仔受胎時活性値:1.00 <中央2勝> |
★ボストニアン 栗毛 1950.5.13 種付け時活性値:0.00 |
||
トモエ 栗毛 1951.5.8 仔受胎時活性値:1.75 |
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
メジロティターン (Djebel系) |
リマンド (Blandford系) |
ヒンドスタン (Bois Roussel系) |
ボストニアン (The Tetrarch系) |
父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 |
0.00 (8歳時交配) |
1.00 (12歳時交配) |
0.25 (17歳時交配) |
0.00 (8歳時交配) |
父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 |
Buzzardの18代孫 (Herod〜Tourbillon系) |
Eclipseの17代孫 | Eclipseの14代孫 | Buzzardの12代孫 (Herod〜The Tetrarch系) |
8代残牡先祖数 | 4代血統構成 (資質固定指数) |
潜在能力値 | 少ない先祖etc |
---|---|---|---|
4/128 | ★E(18) F B ★E(12) (0.25) |
1.00 | メジロティターン ボストニアン |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
メジロティターン (EX.P) |
6.00 | 半兄メジロデュレン (No.7-C アストニシメント系) |
5番仔 (5連産目) |
潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。
『芦毛の名優』メジロマックイーン。自身の4年連続GI制覇も大偉業です。しかし、それ以上に前々年のメジロライアン、前年のメジロパーマーに続いて「メジロ」の1987年生まれの同期生たちが、タスキをつないで、宝塚記念を3連勝したという事実がとんでもない大々偉業ですね。恐るべし、メジロ牧場−マックイーンは、正確には吉田堅氏の生産馬です−。レースの2着には安田記念で穴をあけた『鉄の女』イクノディクタス、3着にはインコースをすくった『京都の鬼』オースミロッチが入りました。6歳馬のワンツースリーフィニッシュでした。
前年の天皇賞・春におけるトウカイテイオーとの「頂上対決」後、宝塚記念の直前に「左前脚部・第一指節種子骨の骨折」という競走馬としては致命的ともいえる故障を発症してしまったメジロマックイーン。その骨折を乗り越えて復活した自身の精神力、池江泰郎調教師をはじめとする厩舎スタッフの努力、オーナーブリーダーであるメジロ牧場の忍耐……。すべてが重なり、成し遂げられた宝塚記念の勝利でした。
この宝塚記念後、4ヶ月の休養明けとなった京都大賞典を、メジロマックイーンは2分22秒7のレコードタイムで勝利しました。TVでこのレースを観戦していた私は、あまりの強さにあ然としてしまいました。ずいぶん白くなった芦毛の馬体が、悠然と、静かに2400mを駆け抜けました。武豊騎手のアクションも、ほとんど何もなかったように思います。最後の直線、ただ1頭大写しになったメジロマックイーンの姿を見て、完成されたアスリートの美しさに私は感動しました。結果的に、このレースを最後に引退してしまったメジロマックイーンですが、無事ならば、秋の一連のGI戦線でどんな走りを見せてくれたのでしょうか。
ステイヤータイプの競走馬ゆえに、メジロマックイーンはスピードの不足を述べられることが多かったです。しかし、6歳にして、自身の弱点と思われていたその部分を消し去り、真の最強馬となりました。「0の遺伝」ばかりをほめ称えるわけにはいかないのですが、父から「0の遺伝」を受けた活躍馬というのは、早い時期から活躍しながらも、成長力を兼ね備えた馬が多いように思います。中島理論使いの皆様もおなじイメージを持っていらっしゃるようです。
牡の持つ活性値が牝の持つ父系三世代のいずれかの数値よりも低かった場合、牝の持つ父系三世代の中で最優性の先祖の活性値と牡の持つ活性値が開けば開くほど、父親の遺伝力が弱いわけであるから、それを補う意味で、活性値の差の分だけ奥の先祖が引っ張り出されてくる。つまり、被遺伝世代深度の範囲内での最優性先祖を隔世遺伝することになる。
−中島国治著、『血とコンプレックス』(KKベストセラーズ)、P237より抜粋。−
「活性値の差の分だけ奥の先祖が引っ張り出されてくる」。すなわち、古い世代の馬の形相を受け継ぐということです。現在はスピード優先の淘汰がなされていますが、5代や6代遡ればステイヤー形質の先祖馬はまだまだいます。0遺伝馬に晩成型が多いというイメージは、中島理論的には形相遺伝の伝わり方で説明できることですね−もっとも、メジロマックイーンは父のEX.Pのようですが−。