ブラックタイアフェアー 芦毛 1986.4.1 種付け時活性値:1.25 |
Miswaki 栗毛 1978 |
Mr.Prospector 鹿毛 1970.1.28 |
★Raise a Native 1961 |
Gold Digger 1962 | |||
Hopespringseternal 栗毛 1971 |
Buckpasser 1963.4.28 | ||
Rose Bower 1958 | |||
Hat Tab Girl 芦毛 1979 |
Al Hattab 芦毛 1966 |
The Axe 1958 | |
Abyssinia 1953 | |||
Desperate Action 栗毛 1971 |
Bold Commander 1960 | ||
Crafty Alice 1964 | |||
ダイロマン 黒鹿毛 1982.4.5 仔受胎時活性値:0.25 <中央3勝> |
ブレイヴェストローマン 鹿毛 1972.5.19 種付け時活性値:0.25 |
Never Bend 鹿毛 1960.3.15 |
Nasrullah 1940.3.2 |
Lalun 1952 | |||
Roman Song 鹿毛 1955 |
Roman 1937 | ||
Quiz Song 1948 | |||
スイートランバン 鹿毛 1974.3.20 仔受胎時活性値:1.75 <中央0勝> |
パーソロン 鹿毛 1960 種付け時活性値:1.25 |
Milesian 1953 | |
Paleo 1953 | |||
レリナ 栗毛 1969 仔受胎時活性値:1.00 <海外0勝> |
Reliance 鹿毛 1962 種付け時活性値:1.50 |
||
Zurina 鹿毛 1959 仔受胎時活性値:0.25 <海外1勝> |
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
ブラックタイアフェアー (Raise a Native系) |
ブレイヴェストローマン (Never Bend系) |
パーソロン (Djebel系) |
Reliance (Teddy系) |
父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 |
1.25 (13歳時交配) |
0.25 (9歳時交配) |
1.25 (13歳時交配) |
1.50 (6歳時交配) |
父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 |
Phalarisの8代孫 | Phalarisの5代孫 | Herod〜Tourbillon系 | Bend Orの10代孫 |
8代残牡先祖数 | 4代血統構成 (資質固定指数) |
潜在能力値 | 少ない血etc |
---|---|---|---|
16/128 | x A E G (0.25) |
4.00 | Reliance |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
Reliance (ダイロマン) |
3.25 | 半兄ブライアンズロマン (No.19-B) |
10番仔 (4連産目) |
潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。
函館の2歳最初のオープン特別・ラベンダー賞を制しました、フジノタカネ。オーナーはハシルショウグンでおなじみの渡邉典六氏です。
フジノタカネの配合の特徴は、やはり「Northern Dancer Free」であることですね。血統構成に現代の主流血脈であるNorthern Dancerをもっていないことは、将来繁殖牝馬になった時、圧倒的に有利です。また、祖母父に日本の誇るTourbillon系の嚆矢パーソロンが入っていることにより、素軽さと勝負強さを得ています。このあたりは、さすがに渡邉典六オーナーの見識が伺えます。
フジノタカネの最優性先祖は曾祖母父Reliance、形相の対象は母ダイロマンと判断しました。Relianceは現役時代6戦5勝、2着1回。その主な成績は仏ダービー(現仏GI)、パリ大賞(現仏GI)、ロイヤルオーク賞(現仏GI)などがあります。現役最終戦となった凱旋門賞(現仏GI)は、同期の英ダービー馬であるSea-Bird(1962.3.8)の2着でした。Relianceの血は直父系としては生き残れていませんが、Kris(1976)、Diesis(1980)、Keen(1981)というエタン(1961)系種牡馬3兄弟の母父として、その存在感を示しています。
フジノタカネの牝系は、19号族レリナ系。近親の主な活躍馬は、何と言っても半兄ブライアンズロマン(1991.6.2)。同馬は栃木の名馬として一時代を築きました。その通算成績は63戦43勝、2着12回。その主な勝ち鞍にさくらんぼ記念(統一GIII)、とちぎ大賞典4連覇、開設記念3回、宇都宮記念3回などなど。デビューした1993年から引退した2000年まで実働8年間、見事な優駿ぶりを発揮しました。
函館2歳S(GIII)は残念ながら4着でしたが、これからも中央に挑戦してくれることでしょう。道営勢の気合に期待します。