デュラブ 栗毛 1982.2.14 種付け時活性値:0.50 |
Topsider 鹿毛 1974 |
Northern Dancer 鹿毛 1961.5.27 |
Nearctic 1954.2.11 |
Natalma 1957.3.26 | |||
Drumtop 鹿毛 1966 |
Round Table 1954.4.6 | ||
Zonah 1958 | |||
Passerina 栗毛 1977 |
Dr.Fager 鹿毛 1964.4.6 |
Rough'n Tumble 1948 | |
Aspidistra 1954 | |||
Pashamin 鹿毛 1966 |
My Babu 1945 | ||
Tir an Oir 1949 | |||
ローズコマンダー 鹿毛 1976.4.2 仔受胎時活性値:2.00(0.00) <中央5勝(平地2勝+障害3勝)> |
★ ダストコマンダー 栗毛 1967.2.8 種付け時活性値:0.00 |
Bold Commander 鹿毛 1960 |
Bold Ruler 1954.4.6 |
High Voltage 1952 | |||
Dust Storm 栗毛 1956 |
Windy City 1949 | ||
Challure 1948 | |||
ハマヒリュウ 黒鹿毛 1972.6.11 仔受胎時活性値:0.75 <不出走> |
パーソロン 鹿毛 1960 種付け時活性値:0.75 |
Milesian 1953 | |
Paleo 1953 | |||
ディックミドリ 黒鹿毛 1967.4.29 仔受胎時活性値:1.00 <中央1勝> |
トサミドリ 鹿毛 1946.5.20 種付け時活性値:1.00 |
||
タカフレーム 黒鹿毛 1955.5.16 仔受胎時活性値:0.75 <中央7勝> |
父 | 母父 | 祖母父 | 曾祖母父 |
---|---|---|---|
デュラブ (Northern Dancer系) |
ダストコマンダー (Bold Ruler系) |
パーソロン (Tourbillon系) |
トサミドリ (Blandford系) |
父の活性値 | 母父の活性値 | 祖母父の活性値 | 曾祖母父の活性値 |
0.50 (10歳時交配) |
0.00 (8歳時交配) |
0.75 (11歳時交配) |
1.00 (20歳時交配) |
父の分枝状況 | 母父の分枝状況 | 祖母父の分枝状況 | 曾祖母父の分枝状況 |
Nearcoの4代孫 | Nearcoの4代孫 | Herod〜Tourbillon系 | Birdcatcherの9代孫 |
8代残牡先祖数 | 4代血統構成 (資質固定指数) |
潜在能力値 | 少ない先祖etc |
---|---|---|---|
8/128 | A ★A E F (0.33) |
2.64 | 父初年度産駒 ダストコマンダー |
形相の遺伝 | 料の遺伝 | 牝系 | 何番仔? |
トサミドリ (ハマヒリュウ) |
4.50 or 2.50 | 近親特に目立たず (No.7-E) |
11番仔 (10連産目) |
潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。
『噛みつくほどの闘志を持って』シンコウウインディ。
1997年。地方競馬の交流重賞に統一格付けがなされ、それに合わせてGIに格上げされた中央競馬のフェブラリーS。折りからの降雪のため、水の浮いた泥田のようになった府中のダートコースで、「ダート王」の覇権を競うことになりました。当時『砂の女王』の名を欲しいままにしていたホクトベガ(1990.3.26)の名前は出走メンバーの中にありませんでしたが、「我こそは」と王者の栄光を掴まんとする砂の猛者が16頭そろいました。1番人気は、前走ガーネットS(GIII)を圧勝してダート戦4連勝となったストーンステッパー(1992.5.9)。2番人気は、米ニ冠馬サンダーガルチ(1992.5.23)の半弟バトルライン(1993.5.20)。3番人気は、前走平安Sでシンコウウインディと1着を分け合ったトーヨーシアトル(1993.4.4)。以下、イシノサンデー(1993.5.29)、ビコーペガサス(1991.2.8)、シンコウウインディと続きました。
スタート。府中のダートマイル戦ではおなじみ、スタート直後の芝コースを16頭が一斉に駆けました。まず先手を打ったのは、2番人気のバトルライン、前年2着のアイオーユー(1990.5.15)、浦和からの招待馬エフテーサッチ(1993.5.15)、そして1番人気のストーンステッパー。シンコウウインディは、前方集団の外側、5番手並びくらいの位置にいました。3番人気のトーヨーシアトルは後方3番手の位置どりでした。オープン馬16頭の織り成すレースは、当然よどみなく流れ、1000mの通過が59秒5。水が浮くぐらいの不良馬場にしては、それほどでもないタイムに見えますが、厳しい冬場のレースだけに、力のいる路面になっていたのでしょう。
4コーナーから直線。内ラチ沿いでアイオーユーがいっぱいになったところを、バトルラインが外から楽な手応えで交わしました。けれど、追い出してから甘いのが「良家のお坊っちゃん」なのか、それほどの伸びを見せません。そこに猛然と襲いかかってきたのが、ストーンストッパーでした。「紫、黄縦縞、袖黄縦縞」の勝負服を鞍上にした黒鹿毛馬が、脚色も確かに、しっかりと伸びました。バトルラインも抵抗しましたが、あえなく脱落。しかし、代わって内ラチ沿いに坂を駆け上がってくる馬がいました。シンコウウインディ。「黒」の勝負服を鞍上にした、勝負服とおそろいの黒いブリンカーを着けた栗毛馬が、かき込みも豊かに、我慢強く脚を伸ばしました。ゴール前100mの地点では完全に一騎討ちの様相となり、根性比べの勝負となりました。「離れていては闘志が湧かない」と判断されたのか、ストーンステッパーの鞍上の熊沢重文騎手は、内側に馬体を併せにかかりました。しかし、岡部幸雄騎手とシンコウウインディはひるむことなく、一目散にゴールを目指して駆けました。内の栗毛馬、外の黒鹿毛馬。決勝点、わずかに「クビ」だけ先んじてゴールに飛び込んだのは、内の栗毛馬、シンコウウインディでした。マル市馬が、初代王者の栄冠を勝ち取った瞬間でした。レースの勝ち時計は1分36秒0、上がり3ハロンは36秒5という結末でした。なお、レースの2着にはもちろんストーンステッパー、3着にはバトルライン、4着にはビコーペガサス、5着にはビッグショウリ(1991.4.5)が入りました。
シンコウウインディの鞍上は『名手』岡部幸雄騎手。通算22回目のGI競走制覇となりました。管理されたのは美浦所属の田中清隆調教師。1990年の開業以来、初めてのGI制覇となりました。オーナーは安田修氏。1993年のマイルCS(GI)、シンコウラブリイ(1989.2.2)以来のGI勝ちでした。生産は北海道浦河町の酒井源市氏。過去に、タイヨウコトブキ(1968)でビクトリアC(旧エリザベス女王杯の前身)を勝たれていますが、グレード制施行以後では初めてのGI勝ち馬となりました。
↑のタイトルで『噛みつくほどの闘志を持って』と付けさせてもらいましたが、ご存知の通り、シンコウウインディは「噛み付きグセ」を持った馬でした。1996年8月31日、中山競馬場で行われた館山特別(900万下)の決勝点直前において、彼はダイワオーシャン(1992.5.15)に噛み付きました。彼の激しい気性がそうさせたのか、負けたくないという闘志がそうさせたのか。この事件で一躍有名馬となったシンコウウインディ。以降も、色々と話題を振りまきました。重賞初制覇となったユニコーンS(GIII)。このレースは、1着入線のバトルラインが進路妨害による降着のため、繰り上がりで1着となりました。重賞2勝目となった平安S(GIII)。前述の通り、このレースではトーヨーシアトルと1着を同着で分け合いました。そして、重賞3勝目となったこのフェブラリーS。ちゃんと初代王者の称号をかっさらって行きました。やるなぁ、シンコウウインディ。
シンコウウインディの最優性先祖は曾祖母父トサミドリ、形相の対象は祖母ハマヒリュウと判断しました。トサミドリは現役時代、中央で31戦21勝。その主な勝ち鞍には皐月賞(現GI)、菊花賞(現GI)、セントライト記念(現GII)、東京杯(現東京新聞杯、GIII)があります。日本ダービーでは断然の1番人気に支持されましたが、残念ながら7着に敗れました。トサミドリは母がフリッパンシー(1924)ですから、中央競馬史上初の三冠馬セントライト(1938.4.2)、皐月賞馬アルバイト(別名クリヒカリ、1939)、帝室御賞典(横浜)を勝ったタイホウ(別名大鵬、1929)などの弟になります。そんな日本競馬の黎明期を彩った4兄弟の中で、種牡馬成績がもっとも良かったのはトサミドリでした。その代表産駒には第26代日本ダービー馬コマツヒカリ(1956.2.28)、天皇賞・春と菊花賞と朝日杯3歳Sを制したキタノオー(1953)、天皇賞・秋と有馬記念を勝った名牝ガーネット(1955.3.15)、天皇賞・春の勝ち馬トサオー(1955)、有馬記念馬ホマレボシ(1957.4.22)、菊花賞馬キタノオーザ(1957)、同じく菊花賞馬ヒロキミ(1959)、朝日杯3歳Sの勝ち馬キタノヒカリ(1954)、同じく朝日杯3歳Sの勝ち馬マツカゼオー(1957)、阪神3歳Sの勝ち馬トサモアー(1953.4.14)、同じく阪神3歳Sの勝ち馬メイジミドリ(1955)など現GI級レース勝ち馬、および重賞勝ち馬を多数輩出しました。なお、キタノオー、キタノヒカリ、キタノオーザは全兄弟です。その母はバウアーヌソル(1938)、つまりはサラ系バウアーストック(1923)の直仔です。
シンコウウインディの牝系は、7号族ノマディック(1945)系。ノマディックは、シンコウウインディの5代母となります。ノマディックの孫に、重賞4勝を挙げ芝1800mの日本レコードを樹立したスガノホマレ(1969.3.1)がいます。しかし、シンコウウインディ自身の近親にブラックタイプは見当たらず、彼1頭だけが「ポコン」と現れたGI馬です。よくぞ、この馬を見出されたものです。馬主である安田修氏の談話によりますと……、
――シンコウウインディは、失礼な言い方ですが、安田さんがお持ちの馬の中ではかなり安い馬ですよね。
安田 ええ、安い馬です(笑)。日高の2歳のセリに私と鬼塚と田中先生(清隆調教師)とで行ったんですが、血統は度外視して馬体だけで決めようという話をしていたんです。
−『優駿』、1997年8月号、P46より抜粋。−
安田氏の眼鏡にかなったシンコウウインディ。そのセリ市では「890万円」で落札されました。
シンコウウインディは、このフェブラリーSが最後の勝利となってしまいました。競走馬の宿命とも言える脚部不安との闘いが、彼を待ち受けていたのです。丸2年のブランクを挟んで1999年に戦列復帰しましたが、結局、再度の脚部不安により引退しました。現在は、シンコーファームで種牡馬生活を送っています。シンコウウインディは、安田オーナーにとって初の牡馬GI勝ち馬でした。オーナーは、礼も篤く、御ん自らが開かれた牧場で供用されました。帰る場所があったということ。シンコウウインディにとって、この上ない「幸せ」だったのではないでしょうか。
1着−フェブラリーS(GI) 平安S(GIII) ユニコーンS(GIII)
2着−スーパーダートダービー(大井、旧統一GII)
3着−ダービーグランプリ(盛岡、現統一GI)
通算17戦5勝、2着3回、3着1回。