中島理論で見るGIレースの勝ち馬(1996年編)

(市)マイネルマックス
  • 鹿毛
  • 1994.4.13生
  • 静内・サンコウ牧場生産
  • 馬主・(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
  • 栗東・中村均厩舎
マイネルマックスの4代血統表

ブライアンズタイム
黒鹿毛 1985.5.28
種付け時活性値:0.00
Roberto
鹿毛 1969.3.16
Hail to Reason
黒鹿毛 1958.4.18
Turn-to 1951
Nothirdchance 1948
Bramalea
黒鹿毛 1959.4.12
Nashua 1952.4.14
Rarelea 1949
Kelley's Day
鹿毛 1977.5.11
Graustark
栗毛 1963.4.7
Ribot 1952.2.27
Flower Bowl 1952
Golden Trail
黒鹿毛 1958.3.5
Hasty Road 1951
Sunny Vale 1946
サクセスウーマン
青毛 1986.3.26
仔受胎時活性値:1.75
<中央0勝>
ハイセイコー
黒鹿毛 1970.3.6
種付け時活性値:1.75
★チャイナロック
栃栗毛 1953
Rockefella 1941
May Wong 1934
ハイユウ
黒鹿毛 1961.4.1
カリム 1953
ダルモーガン 1950.8.12
ヤマノセーハ
栗毛 1980.4.4
仔受胎時活性値:1.25
<中央2勝>
ダンディルート
鹿毛 1972.5.10
種付け時活性値:1.75
Luthier 1965
Dentrelic 1965
トリーソング
青毛 1961
仔受胎時活性値:0.50
<不出走>
Buisson Ardent
栗毛 1953
種付け時活性値:1.75
Welsh Crest
鹿毛 1956
仔受胎時活性値:1.00
<海外0勝>
マイネルマックスの4代血統構成&4代父系の活性値&4代父系の分枝状況
母父 祖母父 曾祖母父
ブライアンズタイム
(Hail to Reason系)
ハイセイコー
(Hyperion系)
ダンディルート
(Luthier系)
Buisson Ardent
(Relic系)
父の活性値 母父の活性値 祖母父の活性値 曾祖母父の活性値
0.00
(8歳時交配)
1.75
(15歳時交配)
1.75
(7歳時交配)
1.75
(7歳時交配)
父の分枝状況 母父の分枝状況 祖母父の分枝状況 曾祖母父の分枝状況
Birdcatcherの15代孫 Whaleboneの12代孫 Herod〜Tourbillon系 Matchem〜Man o'War系
マイネルマックスのB&B理論的総括
8代残牡先祖数 4代血統構成
(資質固定指数)
潜在能力値 少ない先祖etc
7/128 A  C  E  D
(0.25)
1.75 Buisson Ardent
形相の遺伝 料の遺伝 牝系 何番仔?
ハイセイコー
(Apelle)
4.50 近親インターシュプール
(No.9-H)
4番仔
(4連産目)

潜在能力値は数値が少ないほど大きいことを示しています。

[Notes]

『配合はMax』マイネルマックス。回を重ねて48回目の朝日杯3歳S−レース名は当時のまま−。1番人気は新馬と百日草特別を連勝してきたノーザンテースト産駒、クリスザブレイヴ(1994.2.18)でした。それに続いて2番人気が重賞2連勝中のマイネルマックス、3番人気が札幌3歳S(GIII)の勝ち馬セイリューオー(1994.4.13)、4番人気が京都3歳S(OP)をレコード勝ちしたランニングゲイル(1994.3.2)という並びでした。

レースは、前々走の黄菊賞を2歳レコードの1分33秒4で制したアサカホマレ(1994.4.3)、ダートのプラタナス賞を勝って来たダイワウエスト(1994.2.25)、同じくダートのもちの木賞から挑戦してきたオープニングテーマ(1994.2.2)という3頭の快足逃げ争いから始まりました。テンの1ハロン目こそ12秒3でしたが、以後10秒5、11秒1、11秒3、12秒0とつないで1000mの通過が57秒2という速いラップ。1000m地点ではオープニングテーマが1頭で逃げている形になっていました。マイネルマックスは、道中、中段やや後方の内ラチ沿いに進路をとっていました。3角から4角。有力どころのクリスザブレイヴ、マイネルマックス、ランニングゲイルの3頭が良い位置を取ろうと争いました。その時に接触が起こり、クリスザブレイヴはつまづき加減、ランニングゲイルは外に振られる形になりました。マイネルマックスは上手く立ち回り、ジワリと順位を上げて、4番手の位置で直線に向かいました。

直線。前半の1000mを57秒2で飛ばしたにも関わらず、オープニングテーマは内ラチ沿いを逃げ込み体勢に入っていました。オーバーシードの中山の馬場に脚を取られて、後続勢は思いのほか伸びません。1番人気のクリスザブレイヴは馬群の最後方でもがいていました。そんな中、白いハミ吊りを着けた鹿毛馬が、馬場の真ん中を力強く駆けて来ました。マイネルマックス。ゴール前200mを切ってから、一歩一歩、確かめるように伸びて来ました。ようやく加速のついた後続勢のエアガッツ(1994.3.25)、ランニングゲイルらも突っ込んできましたが、勝負は前の2頭。内ラチ沿いのオープニングテーマ、離れて外のマイネルマックス。1完歩毎に差を詰めたマイネルマックスが、最後の最後、「クビ」だけ差し切ったところが、栄光のゴールでした。勝ち時計は1分36秒3。上りの4ハロンが51秒1、3ハロンが39秒1という根性比べもいいところの1戦でした。函館3歳S1着、京成杯3歳S1着、朝日杯3歳S1着。1200mのGIII、1400mのGII、1600mのGI。ホップ、ステップ、ジャンプ。マイネルマックス、見事な2歳頂点戴冠でした。なお、レースの2着はもちろんオープニングテーマ、3着は後方から追い上げたエアガッツ、4着は外を回らされたランニングゲイル、5着にダストワール(1994.2.9)という結果でした。

マイネルマックスの鞍上は佐藤哲三騎手。翌日に結婚披露宴を控えられていた佐藤騎手。自身の手で、挙式に華を添えることとなりました。所属は栗東・中村均厩舎。中村師は1984年のトウカイローマン(1981.5.19)によるオークス制覇以来のGI勝ちとなりました。オーナーは(株)サラブレッドクラブ・ラフィアン。中村均厩舎とラフィアンといえば、1988年の菊花賞における「マイネルフリッセ(1985.6.16)の出走取り止め問題」であつれきが生じたのですが、8年の歳月をかけて、マイネルマックスの力を借りて、再びつなぎ合わさりました。生産は静内・サンコウ牧場。わずかに4頭しか繁殖牝馬がいなかったサンコウ牧場さん。美しい青毛の牝馬の産んだ4番仔が、大変な孝行息子となってくれました。


マイネルマックスの配合で特筆されるのは、やはり3代父系を目一杯に使った配合であることでしょうか。父と母父がEclipse系、祖母父がHerod系、曾祖母父がMatchem系。しかも、非Northern Dancer&非Native Dancerのキレイなサラブレッドです。こんな配合の馬、なかなかいませんぜ(笑)。マイネルマックスの最優性先祖は、母父ハイセイコー。と、断言したいところですが、祖母父ダンディルート(1600mの仏GIIIを2勝)、曾祖母父Buisson Ardent(仏2000ギニー馬)も活性値1.75で同数値です。まま、いずれにせよ、短距離〜マイラーの形質が強く出ていると考えます。結果的に、マイネルマックスの主な勝ち鞍は朝日杯3歳S(1600m)、マイラーズカップ(1600m)、京成杯3歳S(1400m)、函館3歳S(1200m)、クリスマスS(1600m)となりましたしね。管理された中村師も「1200m〜1600mまでの馬」とコメントされていました。

マイネルマックスの牝系は、9号族トリーソング系。半兄ダンディリーフ(1991.4.18)が大井のゴールドジュニアーを勝っています。近親の主な活躍馬には、『芦毛なのに全く芦毛らしくなかった』キョウエイボナンザ(1988.3.29)&インターシュプール(1989.3.11)兄弟、クラスターカップ(統一GIII)を勝ったトシヴォイス(1991.4.29)、福島3歳S(OP)を勝ったヤクモアサカゼ(1988.3.10)などがいます。マイネルマックスは、地味な牝系から出たGI馬でした。


2歳チャンピオンとして、クラシックの主役を張るはずだったマイネルマックス。しかし、好事魔多し。ステップレースのスプリングS直前になって、彼は熱発を発症してしまいました。1度体調を崩すと、立て直すことは大変。以降、彼は出るレース出るレース、精彩を欠く走りを続けました。そして、ようやく次の1勝を挙げたのは、朝日杯から3年後、思い出の中山芝1600m戦で行なわれたオープン特別、クリスマスSでした。彼はすでに5歳の冬を迎えていました。

明けて6歳の春。強豪が出揃ったGIIマイル戦、マイラーズカップ。彼は、そこで、往時の輝きを一瞬だけ取り戻しました。出走15頭中8番人気もなんのその、鞍上に相棒の佐藤哲三騎手を従えて、見事に古馬GII制覇を成し遂げたのです。3年と4ヶ月という長い雌伏の時を経て、最優秀2歳牡馬は、重賞4勝目を飾りました。

通算41戦6勝、2着2回、3着3回の成績を残して、彼は引退します。2歳時の輝きを完全に取り戻せないままの引退は、彼にとって不本意でしょう。でも、それでも種牡馬としての道が残されていただけでも幸いです。目の肥えた日本人からは、種牡馬として見向きもされないと思います。けれど、こういう地味な母系を持つ馬の怖さや凄さを教えてくれた、私にとって大切な馬です。どうか、幸せで健やかな余生を送ってください。本当にお疲れ様でした、マイネルマックス。

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